三年生になってあの・・白石と忍足と同じクラスになった。
彼らは四月の新学期当初から教室でよく目立っていた。その一際明るい髪の所為もあるかもしれないが、ただそれだけじゃない。
彼らはこのクラスでいわば“花”だった。彼らの周りは常に甘い香りが漂っている。
そしてクラスの女子はみんな蝶だった。
本気な子もいたし、そうでもない子もいた。けれどみんなみんな意識の裾を彼らに結んでいた。
彼らが少しでも動けば、裾が引っ張られたようにみんなそちらに意識を向ける。ギャルなあの子も真面目なあの子も委員長のあの子も不良なあの子もみんな、みんな、みーんな、だ。この教室は不思議な一体感に包まれていた。

それにしてもすごい光景だなっと感心する。
そしてその状況を全く気にしてる様子のない彼らもある意味すごい。
私はもう少し刺激的な人の方がいいなと思いながら、そんな彼らと彼らを取り巻く女の子たちを本を読む合間に観察するのが日課になった。

そんな彼らのところに同じ部活の後輩らしき子がよく尋ねてくるようになったのはこのクラスになってほどない頃だ。
ウチの学校は学年ごとに階が分かれているので、違う学年の人がいるとそれだけで目立つのに、さらにそれがすでに目立ちまくってる白石たちのそばだとなおさらだった。
その後輩クンはみんなと変わらない黒髪。けれど耳にはこれでもかというほどピアスがぶら下がっている。
気だるげな表情と仕草が欠伸をする猫を思い起こさせて、なんだか可愛い。
そして何より白石たちにはない冷んやりとしたその眼差しが私のお気に入りだった。
この甘い香りが満ち満ちている空間で彼だけが涼しそう。
その目で見つめられたら、きっと眠気が覚めそうだなって思った。彼の視線はさながらケーキの上に飾られているミントみたい。

気づけば彼は毎日のようにウチのクラスにやってきていた。
いつも白石や忍足と教室の隅で何か話しているだけ。
休み時間が終われば、去って行く。
けれど、教室を出る瞬間、彼は必ず一度だけ振り返る。
そしてチラリと私を視界の端に入れてから、何事もなかったように出て行く。
その眼差しはやっぱり刺激的な清涼感に満ちていたが、日々を重ねるごとに次第にどこかで甘さも含みはじめた。
私は生憎少女漫画の王道ヒロインのように可愛らしい初心な性格ではない。
だからこの視線が何を意味をしているのか気づいている。


そんな日々がしばらく続いた。
何度目かの席替えをして私は忍足の隣の席になっていた。

「英和の辞書、貸してもらえませんか?」
いつものようにウチのクラスに来ていた後輩財前クンが私の隣に座っている忍足に話しかけている。
「あ、俺も今日忘れて持ってへんねん」
「チッ、使えへんな」
「財前!今、お前先輩に向かって舌打ちしたやろ!」
「部長は?」
「俺もさっき別の子に貸してん。ごめんな」
「おい!財前!俺の話聞いてるん!」
喚いてる忍足を尻目に、私に背を向けて立っている彼の腕を人差し指でつついた。
「なぁ、英和貸したろか?私、持ってんで」
彼は振り返ってぎょっとした顔を私に向けた。
「どないする?」
固まってしまった彼をもう一押しする。
「…じゃあお願いします」
「ほな、ちょっと待っててな」
そう告げて、席を立ち、自分のロッカーからきちんと並べてある辞書を取り出した。
「どうぞ。明日、三限に英語あるからそれまでに返してな」
「…ハイ。ドーモっス」
困惑気味に去っていった彼にバイバァイと笑顔で手を振る。
いい加減私も視線を交わすだけの関係なんか飽きていた。
だから、これは助け舟だ。ホラ、話すキッカケを作ってあげたわよってね。


だから次の日、忍足から彼に貸した辞書が返ってきて拍子抜けした。
「ホイ」
「え?」
「財前から、頼まれてん。返しとってって」
忍足から辞書を無言で受け取り、それをしまうためにロッカーへ行く。
何でやねん!思わず、辞書をそのまま乱暴にロッカーに投げ入れた。
(アンタ、私のこと好きなんじゃないん!なのにせっかく話せるチャンス棒にするとか、ほんまになんなん!せっかく私の方から歩み寄ろうとしたんに!腹立つ腹立つ腹立つ!)
その日、一度彼がいつものようにウチのクラスに尋ねて来たが、わざと席を立ち、彼から離れた。


それから彼がウチのクラスに来なくなった。今までは毎日のように来ていたのに突然あの日から彼は私の前に姿を現さなくなった。
この教室は彼がいないとずっと甘ったるい。だから早くあの冷たいくてキリリとする空気を味わいたいのに。
そして彼に辞書を貸してから丁度一週間が経った。

「最近、機嫌悪い?」
財前クンが来なくなって暇なのか、最近休み時間によく忍足が話しかけてくる。
「別に」
「いやいや、めっちゃ機嫌悪いやん?もう財前といいといい機嫌悪い奴、怖くて嫌や」
「…後輩クン、機嫌悪いん?」
思いがけず彼の情報が得られそうなので、いつもは適当に流す忍足の話をちゃんと聞いた。
「おん、なんやアイツ、フラれたんやて」
「は?」
「な、は?って感じやろ?あんなスカしてるくせにフラれるとかウケるわあ」
その後も何かとしゃべり続ける忍足を無視して、さっきの授業で使っていた社会科の資料集をロッカーにしまいに行く。
(てゆうか、どういうこと?あの子、私のこと好きなんやなかったん?私フった覚えないんやけど?てゆーか、告られた覚えもない。 てことは彼の好きな子は私やない?もしかしてとんだ勘違い?私のこと見とった気いしてたけど、あれは何やったん?)
ロッカーの扉を開けるとそこには彼に貸した辞書が投げ込んだままゴロリと転がっていた。
なんだか忌々しいそれを睨みつけ、手に持っていた資料集をいつかのように乱暴にロッカーに放った。
するともとより手前に転がっていた辞書が私の足に落っこちてきた。
足の小指を辞書の角で強かに打ちつけ思わずしゃがみこむ。
あまりの痛さに涙が出た。泣きっ面に蜂とはまさにこのことだ。失恋に辞書の角。新しい諺の誕生。
そんなアホなことを考えながらも涙が今にも溢れ落ちそうになる。
いつの間にか好きになっていたのは私の方だった。
目が合うということは、彼が私を見ていたからだけじゃなくて、私も彼を見ていたからだ。
彼の眼差しは間違いなく私を射抜いていた。
なのに、なんという仕打ちだろう。
弄ばれた気分だ。
勝手に勘違いした私が全面的に悪いんだけれども、それでもやっぱり納得いかない。
(あの視線はなんやったん!期待させやがって!)

いつまでもそこにしゃがみこんでいるわけにもいかず、のろのろと腰を上げ、落ちた辞書を拾う。
ケースから飛び出して開いてしまった辞書を拾い上げると、ヒラリと何かが舞った。
不思議に思い、それを手に取ると見覚えのないメモ紙だった。
そして内容を読んで固まる。
私がこれを最後に使ったのは先週の火曜日。そしてそれをそのまま彼に貸して、戻ってきてからは一度もロッカーから出していない。
必然的にこのメモを入れられるのは彼だけだった。

「忍足!財前クンってクラスどこ?」
「?確か七組やったはずやけど。どないしたん?」
おい!休み時間終わるで!という忍足の叫び声に返事もせず、私は走り出した。

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