※ギャグや小ネタの会話文多

▼ 新婚(手塚)

「いつもそばに居てやれなくてすまない」

と手塚が謝ると、「うん、いいよ」と予想外に明るい声が返ってきた。

「……いいのか?」
「うん」

そうか、と呟き手塚はソファーに座り直す。
外は夏真っ盛り。今日は洗濯物がよく乾きそうだと張り切る背中がなんだかとても遠くに見える。

「一緒にいられないのは寂しいけど、寂しいって思うのは好きだからなんだなって思うとちょっと嬉しい」
「……そういうものか?」
「うん。ああ、私、国光のこと好きなんだなぁって」

それがおまえの幸せなのか? と問うと、「うん」と言う笑顔が振り向く。
手塚は手にしていた洋書を閉じて、その笑顔のとなりに並んだ。

「手伝おう」
「ありがと」

二人分の洗濯物を干して、さぁせっかくの休みをふたりでどう過ごそうか。

休みの日は妻のカルガモになる夫手塚(実はそばにいられないことに堪えてるのは手塚の方)
手塚長編『忘れられないの』より

▼ 結婚記念日(侑士)

「明日なんか予定あるか?」

 ソファーで脚を投げ出して寛いでいた風呂上がりの彼女に何気なく声をかけるとこちらに向けられた目が俺を写したまま大きく瞬きを繰り返した。

「なんで?」
「休み。取れそうやから、久しぶりにどっか行かへんか?」
「……デート?」

 そやな、と返すと彼女の表情が一瞬のうちにパッと華やいだ。
その様子があまりにも無邪気で可愛くて自然と笑みがこぼれる。
 後ろから彼女の肩をそっと抱けばシャンプーか、ボディクリームの甘い香りが鼻腔をくすぐった。
明日は休みだ。
そう思いながらあらぬ妄想を膨らませていると、ピシャリと右手を叩かれた。

「ハイ! どいてどいて!」
「……なんでやねん」
「デートの前の女にはしなきゃいけないことがいーっぱいあるんですぅ」

 今更、なんて言ったらきっと怒り出すだろうから何も言わない。それくらいは心得ている。
それに、嬉々として準備に取り掛かる姿を眺めるのも悪くない気もしてきた。
 婚姻届を出して早三年。
結婚したと言っても互いの仕事が忙しく、新婚と称される頃から今に至るまでふたりの時間なんてあってなきようなものだった。
特に俺の仕事は不規則で、夜勤もあるし、急患があればすぐに病院へと向かわなければならない。
それを理由に約束を反故にしてしまった回数は今じゃ片手では数え切れないほどになっていた。

「ねぇ、どこ行こうか?」

 寝室から彼女の浮き立つ声が聞こえてきた。
きっとクローゼットを開けて明日の洋服を選んでいるに違いない。
何かが崩れる音がしたけれど、たぶん靴を入れてる箱が雪崩を起こしたのだろう。

「なんやこの間行きたい店ある言うてへんかったっけ?」
「そう! 表参道!」

 あーでも、と彼女が一頻り悩み出す。
寝室を覗きに行けば、今度はスマートフォンとのにらめっこが始まっていた。
決められない、と唸る顔は口にする言葉に反して実に幸せそうだ。
やっぱりここにする! と見せてきたスマートフォンの画面には洒落たレストランのホームページが表示されていた。

「ほんなら、食事の前は映画でも観るか?」
「観る! あ、でもラブロマンスはいやだ」
「なんでやねん。デートにもってこいやん」
「なんかやだ。なんか恥ずかしい。たぶん観たあと侑士の目が見れなくなる」
「相変わらず変なとこで恥ずかしがんねんな、自分」
「あーうるさいうるさい!」
「そういうとこ可愛えで」
「うるさいったらうるさい!」

 さわぐ彼女を適度になだめて先に寝室を出た。
 デートの前の男にもしなくてはならないことがある。
まずはさっきのレストランに予約の電話をいれておかなければ。
結婚記念日だから、と伝えて彼女の好きなデザートもお願いしておこう。
 どんな記念日も彼女があえて忘れているフリをしてくれていることはちゃんと気づいている。
「私も忘れてたから大丈夫だよ。気にしないで」と笑う裏で、悲しい思いや寂しい思いをこれまでどれほどさせてきただろう。
それでも、自分のとなりにいることを選んでくれた彼女に一生をかけて想いを返すのが自分の役目であり、願いだ。
 明日のことを思うと微かな緊張が生じる。
まるで初デートだ——と顔がにやけた。

▼ 冬のある日(仁王)

「あれ、仁王先輩?」

 書き終えた部誌を提出してさぁ帰ろうと昇降口へ向かうと、自分たちの使っている一つ手前の下駄箱の列の前で部活の一つ上の先輩、仁王雅治がひとり背中を丸めてしゃがみこんでいるのを発見した。
 誰かをここで待っているのだろうか。仁王先輩はしゃがみこんだまま器用に頬杖をついて遠くの方を見つめていた。

「どうかしたんですか?」
「部室のロッカーに手袋忘れて戻ったんじゃが、もう鍵閉まっとっての。精神的ショックに打ちひしがれていたとこじゃ」

 予想外の答えに「あららら」と返す。

「うーん……困りましたねぇ。私、さっき鍵返しちゃいましたよ。取ってきましょうか?」
「ええ、ええ、そこまでせんでもよか」

 そう言うくせに仁王先輩はしゃがみこんだまま動こうとしない。
 なので、自分もとなりに並び、膝を抱えて座ってみた。
ふたり寄れば文殊の知恵。となればいいが、特に妙案は思い浮かばない。
とりあえず、何か手袋の代わりになるものはないかと自分のコートのポケットを探る。

「あ!」
「なんじゃ?」
「ホッカイロあった! コレあげましょうか! はい!」
「……ゴミはいらん」

 キツネのような薄目で睨まれ身を遠ざけられた。
まぁ、しょうがない。コレを開封したのは今朝だ。確かにすでに熱を失い固くなったしまったそれはゴミ以外のなにものでもなかろう。
じゃあ、とばかりに再びポケットを探ると今度は十円玉が出てきた。
部活前に小腹が空き、菓子パンを買ったお釣りだ。
はい、とその十円玉を仁王先輩に差しだす。

「……十円玉? して、その心は?」
「懐だけでも暖かくなればと」
「十円じゃちと難しい話じゃの」
「ですよねぇ。でももうこれが今日の全財産で……あっ!」
「まだあるんか?」
「キャラメルっ! コレ、すっごく美味しいんですよ! 丸井先輩のオススメ!」

 そう言って嬉々として差し出したキャラメルを仁王先輩はひょいっとつまんで受け取ったので、これでやっと満足してくれたかと思ったら、銀色の包み紙を剥がしたそれを不意に口に放り込まれる。
冷え切っていたキャラメルは口に入れてもすぐには溶け出さず、ゴロゴロと口の中で邪魔だ。
けれど、一度溶け出せばこっくりと甘い幸せな味。
「やっぱり美味しいですよ」とつぶやいても、仁王先輩はどこまでも興味なさげだ。

「それにしてもお前さんのコートはいろんなもんが入っとるんじゃな」

 呆れ半分感心半分で笑う仁王先輩の言葉に「あっ!」と声を上げた。
今度こそナイスアイディア! とばかりに立ち上がってコートを脱ぎだす。

「今度はなんじゃ」
「コート! このコート貸してあげます!」
「お前さんはどうするんじゃ」
「走って帰る!」
「……気持ちだけありがたくもらっておくぜよ」
「遠慮しなくてもいいですよ。雪も降ってきたみたですし」
「どうりで寒いわけじゃ」

 ふたり揃って外に視線を向けた。
部活終わり。時刻は午後六時過ぎ。陽はとうに沈みきり気温が下がったせいか、昼過ぎから降っていた小雨がいつの間にか雪に変わっていた。
十二月の初めに雪が降るなんて関東では珍しい。予報では確か雨のままだったはずなのに。
 昇降口は爛々と蛍光灯で照らされているが、自分たち以外人気はなかった。
それもそのはず、今日も最後まで部活をやっていたのは自分たちテニス部で、その部室の鍵を閉めて最後に出たのは自分だ。
 今朝、仁王先輩がズボンの後ろポケットに両手を突っ込んで寒そうに部室へ入ってきたのを私はちゃんと覚えていた。そもそも今まで仁王先輩が手袋なんかしてるの見たことない。
 素直に「待っていた」と言ってくれればどんなに嬉しいか。
でも、そこは仁王先輩だ。しょうがない。でもそこが可愛い。大好き。

「仁王先輩」
「ん? なんじゃ?」
「じゃあ、こうしませんか?」

 そう言って私はもうなにも持っていない空の手を仁王先輩に差し出す。

「私も今日は手袋忘れちゃったんです。だから、手繋いで一緒に帰りましょう」

 私、体温高いから暖かいですよ! という追加アピールのかいあってか、仁王先輩は「それで手をうつとするかのう」とふわりと手を取って歩き出した。
手を繋いでいるから、必然的に傘は一つ。
仁王先輩が持っていた大きめのビニール傘はこころなしか自分の方に傾いているように気がした。

▼ ばかばかしい(幸村)

「ねぇ、キスしてもいい?」
「ダメ」
「ちゅうしてもいい?」
「言い方変えてもダーメっ」
「ケチ。精市くんのバカ。アホ。おたんこナス。お前のかーちゃんでーべーそっ!」
「……はぁ、うるさいなぁ」
「ハイ、ハーイ! 精市くんが、口で塞いでくれたらいいんだと思いマス!」
「お前、ほんと俺のこと好きだね」
「すきだよ。だいすき。だからちゅうしよう?」
「イヤだよ」
「ガーンッ!」

 いちいち反応するキミが可愛いからついついいじめたくなるなんて俺もよっぽどだなぁ、とキミに隠れてこっそりと笑った。

▼ そうだBBQへ行こう!(立海)

「よぉーッス!」
「あれ? なんで歩き? なにその荷物。今日ブン太の車じゃないの?」
「あーなんか母さんたちが乗ってっちまった」
「えーっ! じゃあどうすんの!?」
「大丈夫だって、ほら!」
「え?」
「おーい! こっちこっち!」

「おはよう。あれ? まだと丸井だけ? 他の奴らは?」
「オッス! 赤也とジャッカルはレンタカー取りに行っててヒロシは来れねぇって。柳と真田も久しぶりぃ!」
「さすが医大生は夏休みもなしか」
「ちげぇよ。妹のバレエの発表会」
「変わらないなぁ」
「えっ、えっ、ちょっと待って! 今日幸村の車で行くの? 幸村が運転するの?」
「ん? そうだけど?」
「ヤダヤダヤダヤダ! 絶対乗らない! 私、絶対乗らないから!」
「ハッ? なんだよ急に」
「ま、ま、前に一回幸村の車乗ったとき頭文字Dみたいな運転されて死ぬほど怖い目にあったから二度と乗りたくない! 絶対イヤ!」
「大げさだなぁ。ちょっとスピード出しただけだろ?」
「ちょっと? 百三十出して、ちょっとぉ? ムリムリムリムリ! 高速ビュンビュン他の車追い抜くし、ギュイーンってすごい角度でカーブ曲がるし、アスファルトタイヤで切りつけて暗闇走り抜けたよ!」
「途中からシティーハンターになったぞ、
「とにかく絶対乗らない!」
「ちょっと揶揄っただけだろ? 助手席であんまりキャアキャアうるさいから期待に応えてあげようと思った俺の優しさわかんないかな」
「わかってたまるかっ!」
「……幸村くんも相変わらずだなぁ」

せんぱーい! やっなぎさーん!」
「ん? 今赤也の声がしたような?」
「こっちっス! こっち!」
「っえ! 待って待って! 赤也、この車なに?」
「レンタカーっスよ。朝一で借りてきました!」
「……悪い、俺が付いてながら」
「いやいやジャッカルのせいじゃないでしょ。どうせ赤也が選んだんでしょ? この車、すごい大事な部分がないんですけど? ほら、この上のとこの!」
「オープンカーっスからね!」
「いやいやいや……。真夏にオープンカーって……目的地着く前に焼け焦げて死にますよ?」
「だから言っただろ。普通のにしとけって」
「だって……先輩オープンカー乗ってみたいって前に言ってたじゃないっスかぁ」
「……えぇ私ぃ?」
「よし、は赤也号決定」
「えぇ……赤也ぁ……嬉しいけど……嬉しいけど、今日じゃないときがよかったなぁ……」
「てゆーか、オープンカーなんてレンタルあるんだね」
「レンタルっつーか、仁王の知り合いのな。つーか仁王まだか?」
「おうおう、最初っからここにおるぜよ」
「っわ! びっくりした!」
「これでメンバーは揃ったな。行くとするか」
「待って待って!」
「む? どうした?」
「なんでみんな普通に幸村号に乗ろうとしてるの? おかしくない?」
「こっちは七人乗りだから問題はないよ。それよりそのダサイ名前やめてくれる」
「いや、あるある! 大ありでしょ! 私、運転できないんだから他に誰か……あ、そうだ、柳がいい! 柳の運転絶対安全!」
「悪いが俺は日差しが苦手でな」
「ずるい! 私だって日焼けしたくないのに!」
「しょうがないなぁ、じゃあ真田あげるよ」
「えぇ……真田か……まぁ、うーん……」
「なんだ? 俺がそっちに乗ればいいのか?」

「つーか、オープンカーにはやっぱコレっスよね!」
「うわっ! 赤也、サングラス似合わない! ちびっこギャング!」
先輩ひっでぇ」
「お前らなにを遊んどる! 荷積みを手伝わんか!」
「ねぇ、ちょっと真田もかけてみてよ」
「何故だ」
「いいから、いいから。よっと」
「うわっ! 副部長、逃走中のハンターみてぇ」
「確かに! でも柳も絶対こうなる」
「マジ怖ぇ!」
「お前らいつまで遊んどるんじゃ。早よ出発せんと昼までに着かんぜよ」

バタンッ
ブロロロ~~
(仁王くんが積荷を終えてトランクの扉を閉めたら、幸村号はそのまま発進しました。御愁傷様です)

「ハイ、仁王くんいらっしゃ~い!」
「無理じゃ……こんな拷問……」
「テッ! なんで俺のこと殴るんスか! 俺悪くないのに!」
「仲間のしるしに君にもコレを貸してあげようね~。うわぁ、仁王嫌味なくらいサングラス似合うけど、チンピラ感半端ない」
「そういうお前さんは電車におるスッピン隠してる女みたいじゃのう、ッテ!」
「遊んでいないで俺たちも出発するぞ」
「ハ~イ!」

バタンッ
ブロロロ~~

▼ スピスタ先輩お薬飲めたねナウ(謙也と白石)

「ほら、謙也、薬」
「それ、粉薬やんけ! 嫌や!」
「何子供みたいなこと言うとんねん」
「チュルッとゼリーみたいなやつと一緒やないとそんなん飲まれへん!」
「お前、医者の息子やろ」
「今、医者の息子関係あらへんやろ!」
「ええから飲みなさい」
「嫌やぁぁぁ!」

「忍足クン、大丈夫?」
「っな!」
「あぁ、お使いおおきにな」
「うん、それは全然ええねんやけど……具合どう? お薬はもう飲んだ?」
「あぁ、それがな、」
「おうおう、薬やな! 粉でも粒でも腹一杯になるほど飲んだるで!」
「あ、まだ飲んでへんかった?」
「今! 今飲むとこやってん!」
「じゃあ丁度よかった! 先にちょっとでも何か食べた方がええかと思って、ポカリとかと一緒に食べ物もいろいろ買うてきてん」

「えっとー、カツ丼とー、レバニラとー、ホルモン焼き! あ、あとおでんのすじ肉もあんで! これ、忍足クン好物なんやろ?」
「……」
「……」
「精がつきそうなやつ選らんだから、これ食べて早よ元気になってな。あ! 私、そろそろ行かな。じゃ、お大事に」

「……」
「……」
「……見事に元気にならへんと食べれそうにないもんばっかやな」
「……食う! 全部食う!」
「いや、さすがに止めた方がええんとちゃうか?」
「俺は今きっと愛を試されてんねん。ここで逃げたら……っあかん」
「ただの天然やと思うけどなぁ」
「い、ただきます!」
「はぁ、俺は止めたからな。あとで腹壊しても知らんで。つーかとりあえず、それ食うたら薬飲みや」
「わーっとる、わーっとる。せやから白石、“おくすり飲めたね”買うてきてくれ」


財前Twitter:【スピスタ先輩おくすり飲めたねナウ】

▼ 追い剥ぎ御免(謙也と白石)

「ジャージよこせや」
「ハ? 追い剥ぎか! 普通にイヤやし。つーかお前着とるやんけ」
「せやけど寒いからもう一枚ほしいねん。よこせや。走ったら暖かなるんちゃう? スピスタ」
「その言葉、そっくりそのままお前に返すわ!」
「どないしたん?」
「あ! 白石! 聞いて、謙也が意地悪すんねん!」
「なんでやねん! どっちかつーと俺がお前に意地悪されとったやろ」
「で? なんでは財前のジャージ着とるん?」
「え? お前、それ財前のなん? あいつ、よう貸したな」
「おん。財前は謙也と違うて優しいからね。私のためにちゃんとベンチに自分のジャージ残しておいてくれてん」
「え、それ勝手にお前がそう解釈して持ってきただけやろ。置き引きは犯罪やで」
「人聞き悪いな! 後でちゃんと返すわ! つか、なんでこれが財前のやって白石わかったん?」
「ん? 匂いでわかったで」
「さすが変態!」
「警察犬か!」
「それほどでもないわ」
「褒めてへん!」
「つか、、自分ジャージどないしたん?」
「さっきスライディングして汚してん」
「なんでスライディング? お前、種目バスケやん」
「スライディングっちゅーか、早い話コケたんやろ」
「白石、ビンゴ! 一コケシ!」

▼ はじめての……(財前)

「そんな身構えられるとやりずらいんスけど」
「やって……」

 必死に閉じていた目を開けると思っていた以上に近い距離に慌てて身を引いた。
そんな私にはぁっと大げさにため息をついた彼に傷つく。

「初めてやねんもん……」

 今度はあからさまに目を背けられた。
鼻の奥が熱くなって涙がじわりと目元に浮かぶ。

「言いたいことあるんやったら口に出して言ってや……」
「言ってもええんスか?」

 鋭いその眼差しが私の心臓を突き刺す。うっと唸り声が漏れた。
どうせ年上のくせにとか色気がないとか、そんなわかりきったことを言われるんだ。
ぎゅっと目を閉じると何粒かの雫がスカートに模様をつくった。
 彼がスルリと猫のように身を滑らせて再び私ににじり寄る。
そして私の耳元でぼそりと囁いた。
しかしそれは予想していた意地悪な言葉ではなかった。

「めっちゃ可愛え」

 次の瞬間、彼の唇は私のソレに触れた。

▼ ご利益(柳と丸井)

 休み時間、たまたまブン太の筆箱が机に出しっぱなしで、それが目に入った。
そこには何枚かの小さな四角いシールが貼られている。

「ねぇ、ブン太、ソレ見せて」
「ん?はい」

 所有者に許可をもらい、改めてじっくりソレを見る。
やはり予想した通りそのシールにはよく見知ったテニス部部員が所狭しと写っていた。
しかし人数が多すぎるのか、それとも図体がデカすぎるのか、全員は写りきっていないようだ。
ジャッカルはブン太に押さえつけられて頭しか写っていないし、柳生に至ってはメガネしか写っていないものもある。
しかし、今回一番注目すべき人物は彼らではない。

「ねえ、これ頂戴」
「えーいいけど、あったかなぁ…もうねぇかも」

 そう言いながら、がさごそと一体何が入ってるんだかわからない汚いカバンを引っ掻き回す。

「お願い!お願い!」
「お!あった!最後の一枚!つーかなんでそんな欲しわけ?お前テニスに好きな奴いんの?」

 私は有難くその最後のシールを貰う。

「え、だってご利益ありそうなんだもん」
「は?なんで?」
「だって目がこんなに開眼してる。なんかこうお地蔵さんが目を開けたの見ると良いことあるみたいな昔話なかったっけ?」
「え、それホラーじゃねぇの?」

 ブン太の話は無視して、私はそれを御守り代わりに生徒手帳に挟んだ。ご利益ありますようにとつぶやいて。
そこにはそういうシール独特の補正がかけられた珍しい参謀が写っていた。

 後日、柳に話しかけられる。

「俺が写っているプリクラを丸井から貰ったそうだな」
「え?ダメだった?」
「いや、駄目ではない。しかしそれでは不公平だと思ってな。お前が写っている物を貰いに来た」
「?うん、いいけど…最近撮ってないからあったかなぁ…あ、あった、あった、コレでもいい?」
「…普通に写ってる物はないのか?」
「変顔じゃないやつってこと?ないよ」
「…そうか」
「魔除けになるかもよ?」

 ご利益のお返しだから、少しでも付加価値をつけようとそう言えば、柳は何故か不服そうな顔でそれを手にして去って行った。

▼ YES or はい(幸村)

「幸村くん!」
「あぁ、マネージャーか」
「『マネージャーか』じゃないよ! もしかしてまた倒れたのかと思った……びっくりさせないでよ!」
「少し木陰で休んでただけだよ。みんなちょっと心配しすぎ。もう俺は大丈夫だよ。試合だってできただろう?」
「そうだけど……」

 ずっと思っていた。もっと早く幸村くんの体調の変化に気づいてあげられていたら、自分がもっとしっかりしていればって……。
たぶん、みんなもそう思ってる。もっと彼にしてあげられることがあったんじゃないか、自分たちはなんて不甲斐ないのだろうって。
そう思って沈んでいるのを気づかれたんだろう。彼の意外としっかりとした大きな掌が私の頭にあやすように乗せられた。

「君たちが責任を感じることはないんだ。俺自身がきちんと向き合わなかった所為なんだから。結果にばかり目がいってしまってね…」
「そんなこと、」
「でももうそれも大丈夫。大切にすべきものもしたいものもきちんと理解したつもりだよ」

 掌が頬にするすると移動する。彼の綺麗な口元は弧を描いている。

「だからこれからはもっと君を大切にするよ」

 大切にさせてね。
 そう笑った幸村くんは狡くて優しい。いつだって YES or はい しか用意させてくれない。