クラスのやつらと暇つぶしでやったゲームで運悪く負けた。その罰ゲームが告白だった。いわゆる嘘告。友だちの誰かが「あのセンパイでいいじゃん」と思い出したように言う。「ほら、うちの教室にもよく来るテニス部のマネージャーのセンパイ」。いいじゃん、いいじゃん、とその場が盛り上がる。めんどくせえな。

「たぶん速攻バレると思うぜ」

 そんで、「こら」って全然怖くない顔で怒られる。だけど、すぐに「もう」って言いながらしかたないなあって感じで許してくれる。センパイは、なんだかんだいって俺に甘い。

「ってことで、センパイと付き合うことになりましたーー!!」

 イェーイ、とダブルピース。丸井先輩とジャッカル先輩に自慢ついでに報告すると、思っていたのとは違う反応が返ってくる。

「あれ? 驚かねえんスか?」
「驚くっつーか、呆れるわ、マジで。てゆーか引く」
「とりあえず、おまえ今すぐあいつに謝ってこい、な。今ならまだ傷は浅い」

 ジャッカル先輩は青い顔(いや、実際には全然青くねえけど)で、俺を昼休みの屋上から早々に追い出そうとした。まだ焼きそばパン食ってねえのに。

「いやあ、でもなんかタイミング難しいんっスよね。つーか、告った時点でバレっかなあって思ってたんスけどね」

 焼きそばパンに巻かれたラップを剥がして口いっぱいに頬張る。家から持ってきた弁当箱は、二時間目の終わりにはすでに空になっていた。

「バレたらどうするんだよ」
「まあ、そんときはそんときっしょ」

 焼きそばパンを食べてもまだ腹が減っていた。もう一つ買っておけばよかったと後悔したけど、そもそも買う金がないことを思い出す。所持金残り八十円。次の小遣い日までまだ一週間以上ある。

 最近は、食っても食っても食いたらなくて、腹が減ってしかたがない。食って、寝て、テニスして。センパイと付き合うようになっても、俺の生活にはとくに変化はなかった。だから、まあいっかって放置してた。いつかバレて、謝らなきゃいけない日が来るだろうけど、たぶんセンパイは許してくれる。

 そんなことより、今の俺にとってはあと八十円で今月をどう乗り切るかの方が問題だった。

 走って俺から逃げるセンパイの腕を捕まえた。俺が言い訳するより先に、センパイの手のひらが、どんっと俺の胸を押す。

 センパイは泣いていた。俺の腕を振り解いて、また駆けだす。

 今度は追いかけなかった。いや、かけられなかった。俺はその場で立ち尽くしながら、部活行かなきゃってぼうっとした頭で考える。行かなきゃ、って思うのに足が動かない。自分の体なのに自分の自由にできなくてイライラする。

 その日の部活は最悪だった。誰かが出しっぱなしにしたトンボに躓くし、クソ一年のクソ打球が直撃するし、しまいには玉川にコートから追い出されそうになる。「今日はもう帰りな」って。俺に命令すんじゃねえよ。俺より弱いくせに!って挑発して試合したら、俺ははじめて玉川に負けた。

 当たり前だけど、昇降口に俺を待つセンパイの姿はなかった。


◇◆◇

「んで、なんでおまえの方がフられたみたいな未練タラタラな顔してるわけ?」

 いつもの昼休みの屋上で、俺のプライドをわざわざへし折るみたいな意地悪な言い方をする丸井先輩を睨んでも意味がないことくらいはわかってる。丸井先輩が顔くらいあるデカいメロンパンを怖ろしいペースで飲み込んでいくのを見て、俺は食欲をなくした。

 嘘がバレた次の日、俺はちゃんと謝ろうとした。ラインや電話で済ませずに、ちゃんと謝ろうと思って、朝イチでセンパイのところへ行った。けど、センパイは「もういいから」と俺の言葉を遮った。「もう気にしてないから」、「むしろ泣いて脅かせちゃってごめんね」、「わたしも忘れるから赤也も全部忘れて」と言うセンパイは一晩明けていつもどおりの優しいセンパイに戻っていたけど、俺の中にはモヤモヤが残る。でも、まだそのときは正直言うと、謝らなくてすんでラッキーみたいな気持ちの方が強かった。

 朝会えば「おはよう」と言ってくれるし、部活終わりに会えば「おつかれさま」とも言ってくれる。でも、もう部活を引退したセンパイと俺の接点は限りなくゼロに近い。木の葉が色付くより早く急速に俺の生活からセンパイの気配が消えていった。

 部活終わりに宿題を見てくれることもなくなって、そうなってからはじめて受けた英語の小テストは散々な結果かと思いきや、案外悪い点数じゃなかった。英語教師に「今回はよくやったな、切原」と褒められても全然嬉しくない。「がんばったね」と言って撫でてくれるセンパイの笑顔を思い出したら、そのときはじめて泣きたくなった。

「……センパイ、俺のことすきだったんスかね」と呟くように吐き出した独り言に、「おまえ、マジでバカだな」と丸井先輩が答えて食後に食べてた風船ガムを割った。

 センパイが告られたっていう噂が流れてきたのは昨日だ。相手は同じクラスのやつらしい。テニス部じゃないから、俺は知らないやつだ。

 俺が告ったときみたいに、鳩が豆鉄砲を喰らったみたいな顔したのかな。みるみるほっぺが真っ赤になって、それを隠すみたいに俯いて、でも「うん」と答えたあとは、くすぐったいのを我慢するみたいな顔で笑ったのかな。考えたら、たまらない気持ちになる。

 そして、明日センパイはそいつとデートするらしい。俺とは結局一回もしなかったデートを明日センパイはほかのやつとするんだ。

「初デートが水族館とかベタだよなあ。まあ、つまんねえけど、おまえと違って誠実そうだし、あいつには合ってるかもな」

 江ノ島駅午前十時。ご丁寧に丸井先輩が待ち合わせ時間まで教えてくれた。

「俺に邪魔しに行けってことっスか?」

 けしかけられても、さすがに俺でもそんなことはしない。そうしたい気持ちは山々だけど。俺のそんな気持ちを悟ってか、丸井先輩は真面目な顔になった。

「邪魔したいならすればいいんじゃねえの。起きたことはもうどうにもならないけど、未来で後悔がないように今動くことはできるだろい」

「いいかげん前に進め」って俺の背中を押してくれる丸井先輩は、食い物が絡むとジャイアンだけど、悪い先輩ではない。

 とりあえずラインはブロックはされていなかった。通話ボタンを押すと何秒か後に「もしもし」と控えめに答えるセンパイの声が聞こえる。

「明日、江ノ島駅改札前で九時」
「え? なに? なんの話?」
「俺、待ってるんで」
「……行かないよ。話すことなんてないでしょう。それに明日は、」
「俺、待ってるんで」

 期待する返事はない。「待ってますから」と最後の祈りを込めて通話を切った。


◇◆◇

 スマホのアラームをかけて、家にある目覚まし時計も総動員させた。明日はまさか遅刻するわけにいかない。なのに、俺はやっぱり寝坊した。全部のアラームが鳴り響くなか、姉ちゃんのかかと落としで目を覚ます。キレもせずに礼を言う俺に、姉ちゃんは心底気味の悪そうな顔をした。

 なんとか支度を終えて、予定通りの電車に乗れる時間に最寄り駅につく。だけど、そこで俺は愕然とした。電車が動いてない。これじゃあ江ノ島駅まで行けない。朝のお天気ニュースなんて見てる余裕のなかった俺は、台風がここら一帯に接近していることをこのときはじめて知った。

 運行の目処はたってないらしい。これだからいやなんだ江ノ電は、と文句をたれたところで、電車は動き出さない。タクシーなんか所持金が小銭の俺に乗れるわけがない。

 来た道を振り返った。確かに風は強いが、雨はまだそんなにひどくない。これなら自転車で行ける。まだ間に合う。そう思うより早く俺は駆けだした。家に戻ってカッパを着て、向かい風の中自転車のペダルを必死に漕ぐ。センパイに逢いたい一心で。

 江ノ島駅に着くと、慌てて辺りを見渡した。駅構内は休日だというのにひとがまばらだ。そこで「あ」と気づく。電車が止まってるなら、センパイも来れないんじゃね?

 時刻は午前九時十二分。全身の力が抜けた。バカみてえ、とその場にしゃがみ込むと、もう二度と立ち上がられないようなくらいの疲労を感じた。

 ポンポンと肩を軽く叩かれて、反射的に顔を上げる。俺はポカンと口を開けたままマヌケ面で固まった。

「……そんな幽霊でも見たみたいな顔しないでよ。ごめんね、遅刻して。でも、えらいね、赤也は遅刻しなかったんだね」

「でも、ずぶ濡れだよ。風邪引いちゃうからちゃんと拭いて」と差し出されたのはミニタオル。いくらひどくないとはいえ雨の中で自転車で全力疾走した俺の髪はシャワー浴びたてのようにびちゃびちゃに濡れていた。

「あ、の、どうして? つーか、どうやって?」
「え?」
「電車止まってんのに……」
「……お母さんに無理言って車出してもらったの」

「あ、車……」とほっとして息が漏れた。それにセンパイが不思議そうな顔をする。

「いや、俺みたいに自転車漕いで来たとかだったらどうしようって。センパイのこと危ない目に合わせたかもって思ったら寿命縮んだ」

 考え込むみたいにしばらく黙っていたセンパイが、「話って?」と急かすように俺の目も見ずに言った。もう遅いと突き放されたようでつらいけど、それも承知したうえでここに来たんだってことを改めて思い出す。

「本当にすみませんでした」

 俺は立ち上がって頭を下げた。あの日させてもらえなかった謝罪だ。それをするために俺は今日ここにきた。

「俺、すげえ子どもで、自分のことしか考えてなくて、センパイのこと傷つけて、泣かせて、取り返しのつかないことしたってわかってます。でも、それを、そのことを全部センパイに押し付けたくまま終わりにしたくない」

 センパイは最後までずっと自分の気持ちを俺に話してくれなかった。俺が「すきです。付き合ってください」と嘘をついたときも、センパイは「わたしもすき」とは言わなかったし、嘘がバレたときだって、あんなに泣いてたくせに次の日にはなにもなかったみたいにお手本のような優しさを返した。

 センパイの気持ちは、全部センパイの中に沈んで埋もれていく。そんなのセンパイだってつらいんじゃないかって思った。全部背負い込んで、その重みでいつか動けなくなる日が来るような生き方をさせたくなかった。

「俺のことちゃんと怒ってください」

 許してほしいけど、それより先にまずは怒ってほしい。センパイ自身のために。「もういい」なんて聞き分けのいいフリ、俺のまえではしなくていい。 「……なんで目、つぶってるの?」とセンパイが俺に訊く。その声はかすかに震えていた。

「いや、ビンタでも鉄拳でも受け入れようって」

 でも、いくら待ってもビンタも鉄拳も降ってこない。心配になってそっと目を開けたら、センパイがいまにも泣き出しそうな顔で俺を見つめていた。

「すきです。俺と付き合ってください」

 センパイが「わたしもすき」と笑ってくれたらいいな、とそれだけを願った。

inspired by music:ずっと真夜中でいいのに。『Ham』