1

「冬にコタツでみかん。幸せやんなぁ。ずっとこうしてたいわぁ」

 がこたつの机に顎の乗せてうっとりと呟く。
 冬休み。
今日は朝から大雪が降り、なくなく部活は中止になった。
だからこうして謙也もも揃って久しぶりにのんびりと過ごせるのである。

「俺は早く思いっきりテニスしたくてしゃないわ」
「出た、テニス馬鹿。ほんま謙也は頭ん中テニスしかないなぁ。そんな気持ちでこたつに入ってみかん食うてるなんて冬に失礼や。今食べてるそのみかん、私によこし」
「どんな理屈やねん! テニス部がテニスのこと考えるんは当たり前やろ。お前こそテニス部のマネージャーなんやから、もっとテニスに思いを馳せろや!  テニスに失礼や! つーか、みかん欲しいだけやろ。自分で取ってこい」
「ヤダー! だって廊下寒い! ほら、自慢の脚でパッと取ってきてよ。ヨッ! スピスタ!」
「そんな適当な褒め方で誰が行くか、ボケ! お前の方が廊下近いやろ。自分で行け」

 向かいに座るが容赦なく謙也の脚に蹴りを入れた。
しばらくそんな無駄な小競り合いをしていると、の母が「お雑煮作るけど食べる?」と台所の方から声をかけてきた。
二人揃って「ハーイ!」と返事をする。
 じっとしているのは性に合わない。早く外へ飛び出して、テニスがしたい。
逸る心を持ちつつも、向かいに座るが本当に幸せそうにみかんを食べているのを見ると、こんな日もたまにはええか、と思う自分に謙也は小さく笑った。



「謙也、アンタ、それちゃん家に持っていたって」

 玄関には今朝まではなかった段ボールが置かれていた。中身は確認しなくともわかる。毎年恒例だからだ。

「後でな」

 謙也はその箱から一つ失敬して自分の部屋に上がった。
手に持っているだけで微かに甘酸っぱい匂いがする。

 結局、あの日が泣いた理由を謙也はわからないままだった。


 2

「あ」

 と、白い息とともに出た短い声が重なった。
 自宅から一番近いこの神社は三箇日でも比較的空いている。
 謙也は毎年ここにお参りに来ていた。
家族で来ることもあったし、友達同士で来ることもあったが、どちらにしても、そこには必ず幼馴染であり同じ部のマネージャーでもあるが一緒だった。
 しかし、今年は違う。
 急患が出た父は病院へ。弟は部活。この歳になって母と二人はさすがに気が引けひける。
同級生たちは受験の追い込みもあり誘いにくい。
だから、謙也はひとりでここへ来ていた。
と会ったのは本当に偶然だった。

「なにしてん」
「見ればわかるやろ阿呆ちゃうか。初詣来て絵馬書いとんねん。他にここ来てなにすんねん」

 そんなつっけんどんな返しだが、謙也は内心ほっとしていた。
無視はされなかったからだ。
 謙也とは距離をおくようになって、すでに三カ月以上の月日が経過していた。
 あの日、はいつものように我が物顔で謙也の部屋に上がりこみ、自分が持ってきた梨には手もつけず、気が付いたら突然火がついたように泣き出した。
 もちろん、の涙を見たのはあれが初めてではない。子供の頃から一緒なのだ。やれ、転んだだとか、テストでヒドイ点を取っただとか、友達とケンカしただとか、謙也はの泣きべそ顔をそれこそ誰よりも見て育った自信がある。
ときには慰めてやることだってあった。大抵は火に油というか、機嫌をさらに悪くさせてばかりだったけれど、謙也の阿呆みたいなギャグに笑って泣き止むことだってあったのだ。
 結局、あれからいろいろと考えたが、謙也にはどうしてもが泣いた理由がわからなかった。
彼女が泣きだす前、なんの話をしていたかと懸命に思い出そうとしたが、すればするほど朧げにしか思い出せないような世間話だった気がしてならない。
 が助けを求めるように自分の服の裾を掴んでも、謙也はどうしていいかわからずなにもできなかった。
 なんとなく、それからお互いを避けるようになって今に至っていた。

 謙也はお参りを済ませ、絵馬掛場へ戻ってみる。
の姿はもうなかった。
 さて。どうしたものか、と謙也はさっき購入したばかりの絵馬に目を落とす。
買ったは良いものの、書くことが全く思いつかない。去年までなら部活のこと、テニスのことを書いていた。
けれど、それももう今年から必要ない。
じゃあ、何を書こうか。家族の無病息災? 自分の受験のこと? なんだかどれもピンとこず、結局オールマイティに〈なんかええことありますように〉とだけ書くことにした。

「私が神様やったら、そんなテキトーな願い事絶対叶えへんわ」

 帰ったんだとばかり思っていたがひょっこりと後ろから謙也の手元を覗き込んだ。
もう中身はバレていて意味がないのに、謙也は咄嗟に手で絵馬を隠し「見るなや」とを睨む。
はべーっと憎たらしく舌を出した。

「そういう自分はなんて書いてん」
「教えるわけないやろ」

 なんて不公平な。
しかし、彼女はよほど自分に絵馬を見られたくないらしい。
謙也が自分の絵馬を結びつけその場から離れるまで、ずっと監視の眼を緩めなかった。
 不自然な無言のまま縦に並んで家まで歩く。
こういうとき家が近所というのはやりにく。
けれど、途中でコンビニに寄るとか、用事があるだとか適当な嘘をついて別れることもできたが、謙也はそれをしなかった。
決して、と一緒にいたくないわけではなかったからだ。
 幼い頃からずっと一緒だった
一緒にいることに理由なんてなかったし、それを必要に感じてこなかった。
茶化すような周りの連中もいたが、「阿呆ちゃうか。ただの幼馴染や」とが自分より先に一蹴するので、自分はただ「そやで。誰がこんなちんちくりん」と乗っかるだけで済んだのだ。
 そんな関係が、謙也はずっと続くと思っていた。
なんの根拠もなく、あの日まで疑ったことすらなかった。
そのことに謙也はあとになってからようやく気がついた。


 3

 年が明け、受験が無事終わり、あとは卒業を残すだけとなった。
 やっと勉強から解放されて、「よっしゃ!」と嬉々として謙也が向かった先はやはりと言うべきか学校のテニスコートだ。
 小生意気な後輩だった財前が一丁前に部長らしく振舞っているのをフェンス越しに見ているだけで謙也はニヤニヤしてしまう。
こっそり他の部員に混ざってみるも、早々に金ちゃんに見つかり、危うく財前に締め出されそうになったが、オサムちゃんの「ええやん、ええやん。OB訪問、OB訪問!(適当)」の言葉のおかげで結局そのまま最後まで練習に混ぜてもらえることになった。
さすが「勝ったモン勝ち(あとはお好きに)」という自由な部活だ。(あとはお好きに)は謙也が勝手に付け加えた部分だが、概ね間違いはないだろう。
 帰り道。金ちゃんにたこ焼き、財前におしるこを何故か奢る羽目になるOB謙也。
 金ちゃんとかに道楽の前で分かれて、財前と二人で賑わう商店街を抜ける。「ほな」と普段とは違う道で曲がろうとする財前に、謙也は「どこ行くねん」と反射的に尋ねた。

「なんでいちいち謙也サンに言わなあかんねん」
「あかんで寄り道! 不良の始まりや!」
「散々寄り道したあとの台詞ちゃうやろ、それ」
「つーか、ほんまにどこ行くん?」
「……神社」
「神社? 何しに?」

「今度アニキのとこに二人目産まれるんスわ」としぶしぶ小声で答えた財前は表情ではわからないが、照れているのかもしれない。
「なんや見た目に似合わずええ叔父ちゃんやっとるんやな」と謙也が茶化せば、「オカンに頼まれただけッスわ」と先へ行ってしまった。
謙也は財前を後を追いかけて再び並んで歩く。
財前に「……なんスか」と睨まれたが、謙也は「初詣パート二」と笑って答えた。
 財前が訪れた神社はやはりあの神社だった。
 財前がお守りを買っている間、手持ち無沙汰になった謙也はなんとなしに絵馬掛け場に来てみた。
〈にんじんがたべられるようになりますように〉なんて可愛らしいものから、〈買ってもないのに宝くじが当たりますように〉とか〈彼氏が次元を超えて会いにきてくれますように〉なんてツッコみどころのあるものまで、ここにはたわいのない願い事が鈴生りにぶら下がっている。
 ふと、が必死に絵馬を隠そうとしていたことを思い出した。
どうせの絵馬にも笑ってしまうような願い事が書かれているのだろう。
それを自分に見られそうになったので、恥ずかしくなってあんなに隠したに違いない。
そう思って、彼女の絵馬を単なる好奇心で探しみた謙也はそれを見つけて固まった。

「財前! お前、なんか書くもん持ってへんか?」
「ハッ? なんスか、急に」
「ええから!」
「それが人にものを頼む態度か」
「それが先輩に対する態度かっちゅー話や! せやけど、とりあえずなんでもええわ。頼むから、ほんまお願いします財前サマ!」

 財前からサインペンをひったくり、謙也は絵馬掛場までダッシュで戻ってくる。
そして、掛けてある絵馬をガザガザとかじかむ手で引っ掻き回し、自分の絵馬を探しだした。
見つけたところで、ほっとして、サインペンの蓋を開ける。

「絵馬に書き足ししてる人とか初めてみましたわ」

 あとからのんびりと追ってきた財前が謙也の手元を覗き込むが、謙也に気にしている余裕はない。

〈ケンヤが自分の道をまっすぐ走り続けられますように〉

 そう書かれていたの絵馬。
 今、頭に浮かぶのはのことだけだ。
 謙也はには格好の悪いところは見られたくなかった。
なんて言えば、「今更」と四方八方からツッコミが飛んできそうだし、すでに相当な数のマヌケを目撃させているから意味なんてないんだろうけど、それでも、謙也はの前ではいつだって格好つけていたかった。
 中二の全国大会で自分が負けて白石に試合を回せなかったときも、最後の全国大会で千歳と財前に「おつかれさん」と言いに行ったときも、推薦入試に落ちてテニスが続けられないとわかったときも、前向きでいられたのはいつだってがそばで「しっかりしいや!」と見守っていてくれたからだ。
 謙也は自分の絵馬に彼女の名前を書き加えた。

に なんかええことありますように〉

 その一部始終を見届けていた財前が呆れたように一言放つ。

「それ、神様やなくて、アンタが叶えてあげたらええんとちゃいます」


 4

 玄関に置きっ放しになっていた段ボールのみかんは結局家におすそ分けをする前になくなってしまっていた。
 財前に「ちょ用事思い出したから、またな!」と別れを告げ、謙也は近所のスーパーまで走った。
走って、走って、全速力で走って、逸る気持ちのままインターフォンを連打した。

「近所迷惑やろ! 何考えとんねん!」

 謙也は間髪入れず持っていたスーパーの袋を差し出す。

「みかん」

 今年はまだ見ていない。
 真冬の、けれど暖かな部屋で、これ以上の幸せはない、といった表情で微笑む顔。
それを見ないうちには冬を越せない。

「一緒に食おうや」
「……なんやねん、急に」
「好きなだけ食べてええから。足りひんかったらまた買うてきたるし」

 わけわからん。
 俯いてそう呟いたがまた泣き出しそうに見えて、謙也は躊躇いを飲み込んで、の身体を思いきって抱きしめた。
 なんであの日泣いたのかも、なんであんな絵馬を書いたのかも、今だって謙也の顔を見ただけでなんでにわかに泣き出しそうになったのかもわからない。わからないことだらけだ。
けれど、あの日自分はこうしたかったのだ、と自分の気持ちの答えにはたどり着くことができた。

inspired by music:tofubeats『衣替え』