※悲恋注意!
※仁王の失恋話。ヒロインは幸村オチ

 パタパタと自分の頬に当たる風を感じて光の中、目を覚ました。
ごろりと寝返りをうち、顔を真っ白な枕に埋めて、今自分が置かれている状況を把握しようとするがイマイチ頭が働かない。

「大丈夫か?」
「な、」

 んで、と続けたかったが、身体が怠くてうまく口が回らなかった。
乱れた前髪と白いリネンの隙間から声がした方を見やると、自分がいるベッドの脇の回転イスにひょいっと腰掛けて、私を扇子で扇いでいる仁王雅治が確認できた。

「さっき、お前さんの教室に行ったら保健室ここじゃって言われてのう。授業中に椅子から転げ落ちてそのまま失神したらしいが、覚えちょるか?」

 そうか、私は倒れたのか。
もう一度枕に顔を埋めて、深く呼吸をした。保健室の独特な匂いのおかげで、自分自身が消毒されていくような気分がした。


◇◆◇


 外は未だ夏を引きずる暑さに対して、密閉された教室内は冷房でガンガンに冷やされていた。
さすが私立。でも今日はいくらなんでも効きすぎなんじゃないだろうか。
生憎エアコンをコントロールできるパネルは教室の一番前にある黒板の傍だ。
もう授業が始まってしまっているため、そこに行って勝手に操作するのも、わざわざ手をあげて教師に進言するのも気がひける。
いつもだったらそれ対策用のカーディガンやブランケットを持っていたんだけど、運悪く一昨日洗濯するために家に持って帰ったきりで今手元にはない。
 身体の芯が燃えるように暑いのに、末端の指先や足先だけが氷のように冷たい。
なんとかそれに耐えていたが、、しばらくするとその悪寒に加えて今度は首筋から後頭部にかけて鈍い痛みに襲われた。
次第に意識すら朦朧として、教科書をなぞる教師のダミ声が遠ざかる代わりに何故か聞こえるはずのない蝉の鳴き声が耳の奥でこだまする。

ツクツクボーシ、ツクツクボーシ。

 そうだ、ツクツクボーシは夏の終わりに鳴くはずだから、これきっと私に夏を終わりを告げているに違いない。
 もうすぐ秋になる。
だから全部忘れなさい。早く、全部、忘れてしまいなさい、て。


◇◆◇


「もしかせんでも俺の所為?」
「……違う、よ」
「それはそれで寂しいナリ」

 なんとか上半身をベッドから起こして、乱れた髪に手ぐしを通した。
まだ頭がズキリと痛いが、さっき教室にいたときよりは幾分かマシにはなっていた。
ベッドのすぐそばにある窓が開け放たれていて、微かな風が白いカーテンの端を控えめに揺らしていた。
教室から見えた外はカンカン照りだったから、てっきりもっと蒸し暑いものかと想像していたがそうでもなかったらしい。
締め切って冷房をかけるより、こっちの方がよっぽど気持ちがよかった。

ツクツクボーシ、ツクツクボーシ。

 窓の外から本物の鳴き声が聞こえてきた。
ああ、やっぱり、夏が終わるんだ。暑さも知らず知らずに和らいで、雲は空高く形をかえてゆく。
 ぼんやりと風に流れる雲を眺めていると、昨日の光景がふわりと蘇ってきた。
晴天の青空の下、ホースで花に水を撒いていたその後ろ姿に、——


「好きじゃ」


「……それ、昨日も聞いた」
「返事は?」
「それも昨日言った」
「一晩寝たら気が変わるかもしれんじゃろ?」

 本気なのか冗談なのか。
仁王の言ってることはよくわからない。
ただ昨日のは、たぶん、きっと、嘘、ではない。
泣いていた私を優しく包みこんだ彼の体温をまだ頬のあたりで覚えている。
あれすら偽りなら、彼は『コート上の詐欺ペテン師』ではなく、立派な本物の詐欺師として胸を張ってもいいと思う。

「……なんであんなタイミングで言ったの? 見てたよね? 昨日。私が幸村にフラれたの」
「あぁ、こっぴどくフラれちょったのう」
「だったらなんで、」
「ずっと待っとったんじゃ」
「……私がフラれるのを?」
「違う。俺がお前さんを幸せにしてやれるタイミング」
「何それ」

 私は昨日、幸村に告白をした。
告げるつもりなんてなかった。完全に行き当たりばったりな告白だった。
 夏休みが明けて、幸村が学校に復帰して、部活も引退して、待ってましたとばかりにいろんな女の子から告白される彼を見て焦ったからだ、と全て終わった後だからこそ自己分析できる。
このまま何もしないで、彼の後ろ姿ばかり見つめて私はどうする気なんだろうって、たまたま屋上で見つけた花に水をあげてる幸村の背中を見て思ってしまった。
今のところまだ誰の告白もOKは出していないようだけど、それだっていつどうなるかわからない。明日にでも誰かのものになってしまうかもしれない。
自分ではない誰かのとなりで幸せそうに笑う彼を見て、家で独りで泣いて、しばらくは彼を見るたび苦しくなって、でもいつかはそれも薄らいで、卒業する頃には“あぁ、私、そういえば幸村のこと好きだったよなぁ”なんて浸ったりするのかな。それ、なんか寂しいな、て。
 そう思ったら、口が勝手に動いてしまった。

「好き」

「幸村、好き」


 結果は見事、撃沈。
しかも何故か幸村はすこぶる機嫌が悪くて、必要以上の言葉で私の気持ちを拒絶した。
私に酷いことを言ってからかうのはいつものことだったけど、あんなに冷たい視線を向けられたのは初めてだった。
 だから知らなかった。心の底から嫌われてるなんて。知りたくなかった。
フラれたショックより、幸村に嫌われていたことの方が何倍もショックだった。


「好きじゃ」
「……何度言われても答えは昨日と同じだよ。フラれたからってそんなに早く切り替えなんかできないし、そもそも仁王のこと友達以上に思ったことない」
「そんな融通利かんとこもスキ」

 まっすぐ向けられた柔らかい眼差しを直視できなくて、私は仁王から視線をはずす。
くしゃりと手元のシーツにシワができた。


 私が幸村にフラれて独り泣くのを我慢していると、どこからともなく仁王が現れた。
そうか、屋上ここは仁王のテリトリーでもあった。
 今は誰とも話なんかしたくなくて、慌てて背を向けようとする私の肩を仁王は簡単に引き寄せた。
突然の仁王の行動に混乱して抵抗するが、それ以上の力で抱きすくめられる。
ポンポンとあやすように撫でられる後頭部から仁王の優しさみたいなものがじんわりと沁みてくる気がして、だんだんと力が抜けてきてしまった。
私は結局そのまま仁王の腕の中で、堰を切ったように格好悪く泣き出した。

 涙もやっとおさまってきて鼻をグズグズすする頃になっても、仁王の手は私の頭を優しく撫で続けていた。
仁王は、いい奴だ。変な奴だけど、他人の気持ちには結構敏感で、なんでもなさげに人を慰めるのが上手い。
「仁王、ありがとう。もう大丈夫だよ」そう言って離れようとしたとき、——

「好きじゃ」

 彼の薄くて形のいい唇が確かにそう動いた。

、俺はお前さんが好きじゃ」

 まったく予測していない展開に、仁王を見上げたまま固まってしまった。
さっき自分は好きな人にフラれたばかりだというのに、今度は友人だと思っていた男子から逆に告白されている。
シュート寸前の脳みそで、どうしよう、どうしたら、どんな風に、どう言ったら……彼を一番傷つけずにすむだろう、と言葉を必死に探していた。

「……ごめん。ごめんなさい」

 結局それしか言えなかった。
仁王もそれ以上何も聞いてこなかった。
私がそう答えるとわかっていたかのようなに、淋しそうに目を細めただけだった。

 そのあと、フラフラの足取りでどうにか家にたどり着き、そのまま深夜まで自分のベッドの中にうずくまった。
何も考えたくない、このまま眠りたい。それなのに、幸村の言葉が、仁王の声が、私を寝かせてはくれない。
なんとか朝方ほんの少しだけ浅い眠りについたのに、いつも通りの時刻で鳴り響く携帯のアラームに起こされた。
鏡で見た自分の起き抜けの顔は血の気が引いていて、過去最大級に酷い顔をしていた。
もういっそのこと学校を休んでしまおうかという考えが頭をよぎったが、やめた。
今日休んだら、幸村は心配してくれないけど、おそらく仁王が心配する。
それは避けたかった。

 しかし、そうして無理矢理来た結果がコレだ。
仁王の気持ちにはどうやったって応えてあげることはできない。
なのにこんな風に心配をかけてしまっているのが心苦しい。
こんなこと言ったら綺麗事だけど、仁王は大事な友達だから、傷ついてほしいなんて思っていない。
虫のいい話だってわかってる。でも、できれば今まで通り友達のままでいたかった。

「まだ、気分悪そうじゃのう」
「……大丈夫」
「そんな青っ白い顔で言われても全然説得力ないナリ」

 せっかく起こした身体を「もう少し眠りんしゃい」と再びベッドに倒される。
せっせと甲斐甲斐しく掛け布団を掛け直され、目を閉じるようにと手のひらで瞼を撫でつけられた。

「夢じゃ」
「え?」
「全部夢じゃき。幸村のことも、俺のことも。全部悪い夢。お前さんは今、悪い夢を見とるんじゃ」
「何言ってるの?」
「だから眠んしゃい。夢の中で、夢も見んくらい、深く、深く、眠んしゃい。悪い夢は必ず覚める」

 私を撫でながら「大丈夫じゃ」と囁く仁王の声はまるで振り子時計が揺れるような一定のリズムで私の鼓膜を振動させた。
仁王、催眠術も使えるようになったの? なんて茶化そうとしたが、もう瞼が重たくて言葉にできなかった。
身体がそのままベッドの底へ沈んでいき、意識が自然と遠のく。

 目を閉じきる瞬間。
仁王の唇が、最後になんと動いたかはわからなかった。


◇◆◇


 薄闇の中、窓を叩く雨音で目を覚ました。
身体を捻って頭上の窓の外を見上げると、さっきの晴天とは打ってかわって横殴りの雨が降っていた。
夏の終わりは夕暮れ時に一時的に大雨が降ることが多い。
窓を叩く雨足はかなり激しく、よくこんな中で自分は眠れていたな、と感心した。
 身体の調子はだいぶいい。そもそもただの寝不足みたいなもんなのだから寝れば治るのは当たり前か。
いい加減、保健室から出なくてはと身体を起こしたタイミングで、ベッドをぐるりと囲うカーテンの裾から制服のズボンと自分と同じ学年色の上履きを履いている脚を見つけた。

「起きたの?」
「な、」

 んで、と続けたかったが、驚きでうまく口が回らなかった。
遠慮がちにカーテンをめくって顔を覗かせたのは、スクールバックを二つ持って立っている幸村精市だった。

「“なんで”はこっちの台詞だろ。急に倒れたなんて聞かされる方の身にもなれよ」
「ごめん……」

 口調は相変わらず厳しいが、自分のことを心配してくれたのだと思うのと心の奥底がむず痒くなる。
ただすぐに思い直して、自分で自分を嘲笑う。
夏は終わった。私の恋も、終わったのだ。

「俺の所為……? だよね」

 これ以上、嫌われたくない。面倒な奴って煩わしく思われたくない。
その一心で首を横に何度も振って否定を示す。
 幸村が小さくため息をついて、さっき仁王が座っていた回転イスに浅く腰掛けた。
足元にバックを両方とも置く。二つのうち一つは、私のバックだった。
手持ちのところについている小さなキーポルダーでわかった。

「お前さ、他の奴らといるときはよく笑うくせに、俺といるときは不機嫌そうな顔ばかりだっただろ」
「そ、それは、幸村の前だと緊張するからで……」
「怖かったんだ。お前が俺のこと好きだって信じられなかったし、もし本当にそう思ってたとしても、今は俺のことを好きだって勘違いしているだけで、いつかは本当の気持ちに気づいて俺の元から離れてしまうんじゃないかって……」
「そんなこと、」
「だから、酷い言葉で断った。自分が傷つく前にお前を傷つけた」

 それまで下を向いていた幸村の瞳が揺れながら私を写した。
私はその視線から目を逸らすこともできず、ただじっと黙って彼を見つめ返した。

「真田に怒られたよ」
「え?」
「自分が傷つかないために、他人を傷つけてはいけないって。まさか真田にそんなこと言われるなんて思わなかったから、仁王が化けてるんじゃないかって疑っちゃった」

 ハハハッと軽く笑ったあと、またさっきまでの真剣な顔にスッと戻って、私をしっかりと見据えた。

「昨日は酷いこと言ってごめん。俺、まだ間に合うかな?」

 私が躊躇いがちに小さく頷くと「よかった」と呟いて、私をすっぽりと自分の腕の中に閉じ込めた。
誰かにこうして抱きしめられるのは人生で二回目だ。
ただ嬉しいだけじゃない涙が一筋、自分の頬を流れるのがわかった。



「私がここにいること誰に聞いたの?」
「あぁ、柳生だよ。帰ろうとしたときにたまたま廊下で会ったんだ」
「ふーん……」

 簡単に身支度を整えて、帰る準備をする。
私が倒れたのは三時間目で仁王がここに来たのはおそらく昼休みで、幸村が来た今はもう放課後だった。

「それにしても外、すごいね」
「傘持ってる?」
「持ってない」
「使えないなぁ……ってそんな怖い顔しないでよ、冗談だよ」

 幸村は本調子が戻ったようで、いつものように私に軽い意地悪を言う。
けれど表情はこの上なく優しくて、それが自分に向いていることにまだ慣れない私は前髪を直すフリをして赤いであろう顔を彼から隠した。
 そんな私をクスリと笑い、「部室に予備あったかなぁ」なんて言いながら幸村は保健室の扉を開ける。すると、すぐに「あ、」と短く声を発して立ち止まった。

「どうしたの?」

 不審に思って彼を後ろから覗くと、その手には先ほどまでなかった黒い男物の傘が握られていた。

「コレ、柳生のだ。さっき持ってたの見たんだ。さすが紳士ジェントルマン、気が利くなぁ」

 私もその傘に見覚えがあったが、何も言わなかった。思い違いかもしれないし、と自分に小さく言い訳をして幸村がさしてくれたその傘に入って帰宅する。





 次の日、借りた傘を返しに柳生の元へ行くと「私の持ち物ではありませんね」と不思議そうに首を傾げられる。

——ああ、やっぱりこの傘は、

inspired by music:「失恋ショコラティエ」オリジナルサウンドトラック『Regrets』