※一氏視点

「俺、ユウジ先輩のそばやと安心しまスわ」

 コートの外で軽く柔軟をしていると、となりに並んできた生意気盛りな後輩が、突然そんなことを憂いを含んだ横顔で言い出すもんだから、目がぎょっと飛び出そうになる。

「な、ななな何言うてんねん! お、おおお俺は小春一筋……」

 そう言いかけて、ふと財前の意味ありげな視線に気づく。
目の前のコートで試合中の銀や千歳を遠い目で眺めたあと、ふととなりの俺に視線を移し、手のひらをくの字に曲げて自分の頭と俺の頭に交互に向けた。
それでやっとさっきのコイツの発言の意図を理解する。

「お前、背のこと言うてるな! 先輩バカにすんのもええ加減にせえや! 俺は小さない! 他の奴らがデカすぎるんや!」

 要するに財前は背のあまり高くない俺と並べば、自分が低く見えないということを言いたいのだ。
 銀や千歳を筆頭に、テニス部三年は長身揃いだった。
その中にいると相対的に俺や財前は小さく見えてしまう。相対的にだ。
俺の身長は十五歳男子のほぼ平均。抜きん出て小さいわけでは、断じてない。

「んもう、何騒いでんの? 昇降口の方までユウくんの声、響いてんで」
「小春ぅ〜〜」

 生徒会で遅れてやってきたマイ・スートエンジェル・小春にたまらず泣きつく。

「財前が俺のこと小さいっていじめんねん」
「ハイハイ。ユウくんは、いちいちそんな反応するからいじめられるんやで。ヒカルもあんま先輩のことからかわんとき」

 小春に窘められてむくれている財前に向かって、いい気味だと小春の背中越しに顔だけ出してあっけんべぇをすると、すかさずポケットに入れていたテニスボールを俺の顔面めがけて投げてきた。
すんでのとこでボールはかわしたが、ありえない。
「なにすんねん!」と第二ラウンド開始とばかりに財前に掴みかかろうとすれば、小春が俺の首根っこを捕まえてそれを阻止した。
 けっ、小春に救われたな、財前。


「てゆーか、急に背なんて気にしてどないしたん?」

 小春が俺の首根っこを持ったまま、財前に優しく尋ねる。
たしかに小春の言う通り、はっきり言って背のことなんて今に始まったことではない。
なんなら俺以外の奴らは元より大きかったし、俺と財前はずっと平均並みの身長だ。
身長そのものは伸びてもその序列が変わることは、悲しいながらここしばらくなかったはずだ。

「別に。ただ、男は背が高くてなんぼなんかなって……」
「んんー可愛い悩み! んもう、ちゅ〜したい!」

 そう言って財前に抱きつこうとする小春の腰に咄嗟にしがみつき、「浮気か、小春!」と必死にそれを食い止める。
そんな俺らを尻目に当の財前は「ホンマ、先輩ら、キモイっスわ」といつも以上に冷たい視線をよこしてきた。
 コイツ、ホンマに俺らんこと、先輩やと思うてへんな。
いつか絶対、泣かしたる!

「背、伸ばしたいんやったら、俺や小春に相談せんと、勝手に牛乳にでも相談しとけ!」
「俺、牛乳飲むと腹、痛なるんスわ」
「そんなん知るか!」
「えぇ! ヒカル、牛乳飲むとポンポン痛なるの? なんや、それ、めっちゃ可愛い!」

 再び財前に抱きつこうとする小春を全力で抑える。
俺の小春を何度も誘惑しやって! ハッ、もしやコイツ、小春のこと狙とるな! と驚愕の新事実に気づき、俺は持てる限りの眼力を駆使して財前を威嚇した。



「三人で何しとんの?」

 そこにマネージャーのが洗濯カゴを抱えてやってきた。
よかった。財前は何故かには逆らわない。手っ取り早くこの小僧を引き取ってもらおう。

「おう、! 丁度ええとこに来たわ! お前、コイツのことどうにかせえ! コイツ、俺の小春のこと、狙いよんねん!」

 人差し指で財前を指差し、に告訴する。

「えーそうなん光?」
「んもう! 私、モテ期かしらん! 小春、困っちゃう!」
「……イロモノコントに俺巻き込むんやめてもらえますか」

「あと、人のこと指差したらあかんって習いませんでしたか?」と俺の人差し指を掴んでありえない方向に曲げようとする財前を逆の手で指差し、に「ほれ見ろ!」と再び訴えるが、はこの光景を見ても「アハハ、一氏の指、めっちゃ曲がってるー」と小春と呑気に笑い合っていた。
 あかん、コイツ、取り締まる気全然ない。

「で、ホンマはなんの話しとったん?」

 俺はやっとこさ財前を振り払い、痛む人差し指をさする。
 これ、ほんまに曲がってへんか?

「なんやヒカルがね、身長低いん気にしてるんですって」
「えー、光、そんなこと気にしとったん? 全然気にせんでもええやろ。光は今のままで十分カッコイイやん。それに成長期やねんから、心配せんでもこれからもっと伸びるって」

 そう言っては持っていた洗濯カゴをわざわざ一旦置いて、財前の頭を優しく撫でた。財前もおとなしくに撫でられる。
さっきまでの俺らに対する態度はなんだったのかと疑いたくなるほど、目の前の財前は借りてきた猫状態だった。
 ……お前、ほんま、の前だとイイコちゃんやな! けっ!

 そんな風に心の中で毒づいていると、となりの小春が「やっぱりヒカルとちゃん、お似合いやわぁ。羨ましっ」とうっとりとこぼした。
え? どゆこと? 二人がお似合い? え?
俺がとなりで困惑しているのに気づいた小春がそっと小声で「あの二人、付き合うてるんやで」と俺に耳打ちしてきた。

「はぁぁぁぁぁ?」

 驚きのあまり声が出て、咄嗟に小春の顔を見れば「テニス部で気づいとらんのユウくんだけと違う?」と呆れられる。
確かに言われてみれば、はさっき財前のことを下の名前で呼んでいた気がする。そういうことか? そういうことなんか? てゆーか、いつからや? 全くわからなかった。

 いや、財前がに良く懐いているのは、知っていた。
基本的に誰の言うことも(俺だけじゃなくて白石の言うことすらも)聞かないのに、何故かマネージャーのの言うことだけはやけに素直に聞く財前を、なんやコイツ? と前々から疑問には思っていたが、まさかそんな展開になっているとは……。

 財前とがねぇ……と思い、視線を二人に向け観察していると、「なに見てんスか?」と、財前が何を勘違いしたのかを俺から隠すようにして睨んできた。
 誰もそんな女、取ったりせえへんわ!

 イラッとして「べーつーにぃー?」とコイツのお決まりのセリフでわざとらしく返してやると、財前は反対のポケットにまだ隠し持っていたらしいボールで反撃してきた。
完全にそれが第三ラウンド(いやさっき小春に止められたから第二ラウンドか?)開始の合図になり、俺は財前に飛びかかる。
小春が「もう、ユウくんやめえや!」と止めに入るがもう遅い。
財前の胸ぐらを掴もうとするが、ひらりとかわされ前につんのめる。
「なにすんねん!」「それはこっちのセリフっスわ」「んもう! 私のために争わないで!」
ギャーギャーと怒号と罵声と悲鳴が飛び交う。

 しかしそんな争いは束の間だった。

「それにな、男は身長より、コレやで!」

 の言葉に「ああん?」と振り返えれば、ものすごいいい笑顔で親指と人差し指をくっつけ丸を作り、それをを丁度くるりと反転させているところだった。
取っ組み合っていた俺らは揃って固まる。

 がしたのは所謂、カネのポーズ。
カネ、カネ、金。銭や銭。ドン引きだ。
せやから女は嫌いやねん!
 どんな女も一皮向けば、本性は皆同じ。打算計算、頭の中のそろばんを舌なめずりをしながら私利私欲のためだけに弾いている。
普段は清廉潔白そうなコイツでさえ、例外ではないことを目の当たりにして、ほんの少しだがショックを受けてる自分がいることに気づき、ますます気分が悪い。
 そんな俺のとなりで、小春が「まぁ、女の子は現実主義者リアリストやからね」と、さりげなく優しいフォローを入れる。人のトゲトゲした気持ちをやんわり包み込むよな懐の深い解釈に、俺はさすがだなと感動した。
やっぱり小春は女なんかより何倍も可愛くて優しい。俺は心の中で改めて小春に永遠の愛を誓った。

「せやから光は身長気にするより、勉強頑張り。そんで、将来立派になって、私のためにがっぽり稼いでな」

 顔を引きつらせてる俺らなんか気にすることなく、またサラリとえげつないことを言い残し、は洗濯カゴを抱えて、部室の方へ去っていった。
「私も着替えてくるわ〜ちゃん待って〜」と小春もそれに続く。
あとに残された俺と財前は、その場に立ち尽くしたまま、しばらくどちらも動かなかった。

「……お前、アイツのどこがええん?」

 完全に二人が視界から消えてから、となりの財前に尋ねる。

「裏表のない素直なとこっスわ」
「けっ、恋は盲目っつーやつか」
「その言葉、ユウジ先輩にそっくりそのままバットで打ち返したりまスわ」
「あぁん? お前、ええ加減せえよ、表でろや、表ェ!」
「もう表ッスけど」
「口堪えすな! ほら、コート入れや! 先輩が扱いたるわ!」
「逆に俺が勝っても文句言わんでくださいね」

 ちょうど銀と千歳の試合が終わり、入れ替わるようにそのコートに入る。
本当は謙也と試合する予定だったが、そんなん無視や無視。
さっきの第三ラウンドは、中途半端で消化不良だった。今度こそこの調子こいた後輩を黙らしてやる。
 財前と激しく打ち合いをしていると、フェンス越しに小春との声がした。

「光、頑張ってな!」
「ヒカル〜応援してんで」

 なんでや、小春ぅ……そこは俺の応援ちゃうんか? と小春に気をたられてる内にスパーンッと財前のスマッシュが決まる。
なんやねん、そのドヤ顏! クソッ!

「ユウジ先輩、泣いてるんスか?」
「じゃあかしいわ、ボケェ!」



 結局試合は3−6で俺の負け。
コートの隅でへこんでいたら、スッと顔の横にドリンクが現れた。

「お疲れさま」
「……財前カレシんとこに持ってけや」
「もう持ってった」

 フンッ、と鼻を鳴らしてからドリンクを奪い取る。

「……お前、あんなんのどこがええん?」

 を好きな財前も理解できないが、財前を好きなはもっと理解できない。
向こうですでにドリンクをあおっている財前を顎でしゃくり、先ほど財前にもした質問をにもした。
即答した財前とは違い、は昨日の夕飯のメニューでも思い出すかのような軽いニュアンスで「んー」と小首を傾げて、しばし考える素振りをする。

「そやなぁ、どこやろなぁ……」
「もったいぶんなや」
「んー、ほな秘密や」
「はぁ?」
「やって光のええとこ教えたら、一氏も光のこと好きになってまうかもしれへんやろ?」

 人差し指を唇に当てて、茶目っ気たっぷりにふふふ、と微笑んだ姿に一瞬だが見惚れてしまっていた。
ハッと我に帰り、「はぁぁぁ? 何言うてんねん、お前!」とツッコもうとしたときには、すでにの背は遠く、他の部員にドリンクを配りに行ってるところだった。
 ふと自分の手元を見るとふわふわのタオルが一枚、畳まれて置かれていることに気づく。
悔しいがはマネージャーとしては優秀だし、女という枠組みで見なければ、まぁわりと見所のある人間だ。
 そんなが、あんな俺のお笑いもわからない新人類ミュータントのモノになったかと思うと正直、あまり面白くない。
置かれたタオルで乱暴に顔を拭き、ドリンクを一気に飲み干した。

「財前ー! 次、行くで! 次! もう一勝負や!」

 休憩していた財前に向かって大声で命令して、コートへ戻る。
何故か俺は今、がむしゃらにテニスがしたくてしょうがない気分だった。