「女子がよく聞く、“私のどこが好き?”っていうあの厄介ななぞなぞ、あれマジなんなの?」

「ハイ?」

 昼休み、いつものメンツで屋上にくるなりブン太がどかりと胡座をかきながら、急にそんなことを言い出した。突拍子もない質問に返事の声が裏返える。

「つーか、正解あるわけ? ほんっとめんどくせぇ。めんどくさ過ぎて、聞かれるたび金払えって言ってやりたくなるくらいめんどくせぇ」
「なんじゃなんじゃ、ブンちゃん。ご機嫌斜めじゃのう」

 一番後ろで入ってきた仁王もブン太の隣に腰を下ろす。そしてどっかからか取り出したシャボン玉を吹き始めた。え? これからお昼ご飯じゃないの? 食べる気なし? てゆーか、どんだけ自由人? 仁王だから今更ツッコむ気も起きなくてあえて無視をして、ブン太の方に向き直った。

「そういえばブン太、昨日、廊下で彼女に引っ叩かれてたでしょう。あんな絵に描いたような修羅場、私、ドラマとか以外で初めて見たよ」
「今度の彼女は随分と情熱的な子じゃのう」

 それは昨日の放課後のこと。まだ大勢の生徒が行き交う廊下で、怒鳴り合う男女の声が聞こえてきた。なんだろう? と思い、人だかりを覗くと、ブン太たちカップルが派手に罵り合っているところだった。
しばし続いた他人が見れば不毛な口喧嘩は、最終的に彼女が「このポルコ・ロッソ!」の捨て台詞とともにバシンッとブン太の頬にビンタを決めて走り去り、その背に向かってブン太が「だから、ポルコ・ロッソって何だよ!」って怒鳴りながら近くにあった自販機傍のゴミ箱を蹴っ飛ばしてジ・エンド。
そして、「何見てんだよ!」とギャラリーを一喝してから彼女とは別の方向にブン太も去っていった。
 散り散りになる野次馬たちの中、たまたま隣にいた留学生のフィリップ君が「Oh!! ニホンノ女ハ最強デース」って呟いていたのを思い出して吹き出しそうになり、向かいの仁王が不審そうな顔で私を見た。


「外見褒めれば“見た目だけ?”って怒るし、性格褒めれば“どうせ私、可愛くないもんね!”って拗ね出すしさぁ! もうマジうぜぇ。あー……別れよっかなぁ……」

 そう言ってブン太が空を仰ぐように寝転ぶ。
つられて見上げた空は文句無しの秋晴れだった。空の高いところに魚の群れが泳いでいるような雲が浮かんでいる。
『女心と秋の空』なんて言うけれど、ブン太のそれは実際、女より移り気な気がする。

「今回も早いねぇ。一ヶ月持った?」
「ギリ持った」
「ブンちゃん、性病になるナリ」
「うっせ!」
「てゆーか、そういう仁王は、ほんと謎だよね。こんだけ一緒にいても彼女いるんだかいないんだか、いっつもよくわかんないし」
「マーくんは清純派ナリ」
「男の清純派とか意味あんのかよ?」
「意味はあるでしょ。少なくともブン太みたいなのよりはマシ。てか、仁王のは嘘でしょ」
「プリ」
「つか、仁王の話なんかどうでもいいんだよ! で、“私のどこが好き?”ってアレ、なんて答えるのが正解なわけ?」

 ブン太が寝転んだまま、気だるそうに顔だけを私に向けた。

「え、私?」
「おう。お前もい、ち、お、う、女の端くれだろぃ?」

 その言い方になんかカチンッとくる。

「端くれじゃなくてど真ん中ですけど? ストラックアウトで言ったら五番ですけど? 何か?」
「あーハイハイ。じゃあ女子ど真ん中ストライクのサン、なんて言うのが正解なんですか?」

「えー……」

 とは言ったものの、そんなこと急に言われてもいまいちピンとこない。“私のどこが好き?”、“私のどこが好き?”、“私のどこが好き?”。呪文のように心の中で反復してみても自分がそんなこと言う場面が全く想像できない。第一、誰に言うんだ。誰に。

「赤也のこと、想像してみんしゃい」

 そんな風に悩んでいると助け船だとばかりに仁王が横から要らぬ世話を焼いてきた。
なんでここに赤也の名前が出てくるんだと仁王を一睨みすれば、わざとらしく肩をすくめて、明後日の方向にシャボン玉を飛ばしはじめた。

「てゆーか、赤也遅くね?」
「購買混んでんじゃない?」



「遅くなりましたー! って先輩たちなんで食ってねぇの? もしかして俺のこと待っててくれてたんスか?」

 実は扉の外に隠れてタイミングを見計らってたんじゃないかってくらいのナイスタイミングで赤也が私たちの前に登場した。

「いや、そんなわけないだろぃ」
「ないナリ、プピナッチョ」
「うん、ないね、全然。てゆーか仁王、プピナッチョって何?」
「ピヨ」

「あー、デスヨネー。んで、何、話し込んでたんスか?」

 赤也が当然のように私の隣に腰を下ろして、購買で買ってきた焼きそばパンにかじりつく。
それを見てブン太も食欲が湧いてきたのか、むくっと起き上がって自分のドでかいメロンパンを頬張り始めた。
私も膝に置いたまま手をつけていなかった自分のお弁当のプラスチックの蓋を開けた。


「あ! おあえ、ほら、わかやにいけよ」
「ハイ?」

 しばらくそうやって各々自分の昼ごはんを食べていると(仁王は相変わらずシャボン玉をしてたけど)、ブン太がもぐもぐと口を動かしながら、思い出したかように顎で私に命令した。その態度にまたカチンッとくる。てゆーか、口に物入ってるときにしゃべんな。何言ったんだかわっかんないだろ、馬鹿!

「だから、さっきの質問、赤也に聞けよって言ったの!」

 ゴクリッと音を立てて大きな一口分のアップルデニッシュ(本日三つ目のパン)を飲み込みんでから、ブン太が再度私に命令する。おい。

「はぁ? なんで? てゆーか、アンタが知りたいのは女子側の気持ちでしょ。赤也の答えなんて聞いても意味ないじゃん」
「いや、単純に興味。こんなののどこがいいのかなってずっと思ってたんだよな」
「こんなのって何!」

 今日のブン太はどんだけ私を不愉快にさせれば気がすむんだ。
自分が彼女と喧嘩したからってそのイライラの矛先を他人に向けんな、馬鹿!

「いや、だってもっと他にいっぱいいんじゃん、女子なんて。なのになんであえてお前なのかな? って」
「普通に超失礼! その言葉、そっくりそのままアンタの彼女に言ってやりたいんですけど!」
「俺は、アレだよ。天才的なとこだろぃ」
「意味わかんない! ポルコ・ロッソのくせに!」
「あ、てめっソレ! つーか、ソレどういう意味なんだよ! どいつもこいつも意味わかんねぇ罵り方しやがって!」
「彼女に聞けばぁ? もしくはググレカス!」

「して、赤也、お前さんはのどこが好きなんじゃ?」
「あ! ちょ、仁王! どさくさに紛れて勝手に聞くな!」

 私とブン太が言い争っている隙を突いて、いつの間にかシャボン玉を吹くのをやめていた仁王が赤也に例の究極のなぞなぞを出す。慌てて、止めにかかったが時すでに遅し。仁王の口を塞ごうとするが無駄だった。膝に置いてあった空のお弁当箱が派手な音を立てて転げ落ちる。

「へ?」
「だから、こいつのどこが好きなんだって話。あ、顔以外な」
「おい!」

 今度はブン太めがけて持っていた箸をぶん投げたが、難なくかわされる。お前ら、本当、ふざけんなよ!

「全部っスかね」
「え?」

 さっきから失礼極まりない彼らに一人で躍起になっていると、隣の赤也が全く迷う素振りなくそう答えた。
反射的に振り向いて見た赤也の顔は、なんてことのない普通の様子で、強いておかしなところを挙げるとすれば、口の横に青海苔がついてることくらいだ。
 トム:「What is this?〈これは何ですか?〉」、クミ:「This is the pen.〈これはペンです〉」。そんなん見たらわかんだろう、なんでわざわざ質問したんだトム。そんな、まるで英語の教科書の一ページのような受け答えだった。

「ん? 全部っス。俺、先輩のこと全部好き」

 私が発した驚きの声を聞こえなくて聞き返されたんだと勘違いしたようで、赤也がもう一度、今度は私の瞳を見ながら言った。
彼お得意の八重歯がチラリと可愛い満面の笑みを向けられ、私は何故か石のように動けなくなる。
(あ、歯にも青海苔ついてるし)
いつもならすぐに笑ってツッコんでいるところなのに、今はそんなことしている余裕はない。


「なんだよその適当な答え!」

 バシンッとブン太が赤也の背中を殴る。
その音でハッと我に返り、雑念を振り払うかのごとく頭を何度か横に振った。

「イッテ! ちょ、丸井先輩、殴んないでくださいよ、もう!」
「あー聞いて損したー! そんな適当な答えで女が納得するわけねぇだろぃ!」

 えーそうなんスかぁ? と赤也がブン太の言葉にちょっと不服そうに返事をすると、女っつーのはめんどくせぇ生き物なんだよっ、と言いながらブン太が赤也にヘッドロックを喰らわせた。

「じゃけんど、はそうでもなかったみたいじゃのう」
「あ゛?」
「ほら、よぉく見んしゃい。さっきから耳が真っ赤じゃ。可愛えのう」
「なっ!」

 仁王が私を指差してそんなこと言うもんだから一斉にみんなの顔が私に向く。
咄嗟に耳を隠すように両手で抑えるが、今度はなんだか頬が熱くなってきた気がする。自分でも赤くなる意味がわからず、なんだか無性に腹が立ってきた。

「え? あれが正解なの? マジで?」
「し、知らない! 帰る!」

 そう言って私の顔を覗きこもうとするブン太を押しのけ、辺りに散らばったままの自分の荷物を素早く回収してバックに押し込んだ。

「おい、午後の授業どうすんだよ!」
「具合が悪いので早退しマス!」
「元気な早退じゃのう」
「うるさい! 帰るったら、帰る!」
先輩大丈夫っスか? 俺、送るっスよ!」
「つ、ついてこないで!」
「なんでっスかー!」

 ついてこようとする赤也に誰のせいだ! と八つ当りしながら、屋上を後にした。
そのあと残された二人に「とっととくつっくけばいいのに。馬っ鹿じゃねぇの、あいつら」と罵られていたことを私と赤也が知る由もない。





【後日談その1・仁王雅治】
 日直日誌に『、恋煩いのため早退』と書かれてサボリがバレ、担任に説教をくらう羽目に。ちなみにその日の日直は詐欺師・仁王雅治。なんてことしてくれたんだ、畜生!
 とりあえず、この間また勝手に柳生に変装して、柳生の好き子にわざとイタズラしてたこと本物の柳生にバラしてやろう。


【後日談その2・丸井ブン太】
「お前のせいでまた喧嘩だよ!」
「はぁ?」
「“全部”って言ったら、“適当なこと言わないで”ってまたブン殴られたんだけど。どういうことだよ」
「いや、知らないし。てゆーか、仲直りする気あったんだね。なんだかんだ言っても、今の彼女、好きなんじゃん」
「うっせ」
「照れてるぅー! フゥー!」
「この間のお前には負けるけどな!」
「うっせ!」

 ブン太にしてはいい傾向だ。今度の彼女はなんかいつもと違ってガッツありそうだし。てゆーか、そろそろちゃんとしないといつか女に刺されて死ぬぞ、お前。本気でそう思う。


【後日談その3・切原赤也】
先輩」
「ん?」
「具合悪いの治った?」
「……まぁ」
「よかったー」

 そして、あの日以来一番の困り事はあの時の赤也の顔が瞼に焼き付いて離れなくなってしまったことだ。

 「俺、先輩のこと全部好き」

 好かれてるのは知ってた。事ある毎に私のところへ来ては遊んでくれとじゃれつく犬のような後輩をどうしたものかと持て余していた矢先の出来事だ。

「ん? 先輩、顔赤くないっスか? やっぱ具合悪い? 大丈夫?」
「なんでもない! 大丈夫だから!」
「ほんとにほんと?」
「本当に本当!」
「なら、よかった」

 寒いから、手、繋いで帰りましょ、って絡めてきた指をいつもだったら容赦なく振りほどくんだけど、今日はもういいかな、本当にちょっと寒いしって自分にまでわざわざ言い訳してる私はつくづく可愛くないなと思いながら、無言でマフラーに顔を埋めた。

 もうすぐ冬になる。寒い、寒い、冬。こうやって二人で手をつないで歩く日が増えればいい。そう思ったことがきっとこの気持ちの答えなんだろうと気付かせるように、一段と冷たい木枯らしが吹いた。