※ヒロインの誕生日が冬で固定

「ども」

 そう言っていつもの調子で彼は待ち合わせ場所にあらわれた。約束の時間は、とっくに過ぎている。一応遅れるという旨の連絡は受けていたが、それにしても彼の態度はあんまりだ。私がどんな気持ちで待っていたかなんて彼はきっと全然考えていない。
 今日は久しぶりのデートだったに。私なんか張り切りすぎて十五分も前に着いてたのに。いじけている私なんか気にも留めていない様子で、「ほな行きましょうか」と彼はスタスタと歩き出してしまった。

 そんな一つ年下の彼、財前光クンと私がお付き合いするようになって今日で丁度一年が経つ。

 (光クンの阿保)

 ハッ、と気づけば彼の背中はすでに遠くで人混みに紛れそうになっている。私は慌ててそれを追いかけた。


◇◆◇


 私たちは今まで記念日運というものがことごとくなかった。
 まず付き合い始めて早々に彼の誕生日があった。もちろん、私は一緒に過ごす気マンマンでいたが、念のためと思い、彼に予定を確認すればあっさり部活だと断られた。
 突然雷に打たれたかの如く、かなりのショックだった。けれど、部活なら仕方がない。仕方がないことをうじうじ考えていてもどうしようもない。早々に気持ちを切り替え、せめてプレゼントは張り切って選ぼうと気合を入れ直す。
 が、しかし、それもまたすぐに難航することになる。
 当初、私は彼にピアスをあげようと思っていた。ファッション雑誌やネットをあれこれ見ては彼に似合いそうだとストックしていたピアスの画像を毎日毎日、暇されあれば眺めていた。
 けれど、見れば見るほど、考えれば考えるほど、悩めば悩むほどわからなくなってしまった。身に付ける物は好みに合わなければ最悪なプレゼントになる。特に彼はそういった装飾品に対する好みはうるさそうだ。
 そうこう悩んでいる内に彼の誕生日の日が迫ってきてしまった。もうどうしていいんだかわからなくなり、いっそのこと消耗品ならば貰う方も送る方も気が楽だろうというなんともお粗末な答えに至る。
 私は結局、スポーツタオルと和菓子のセットをデパートで購入することにした。デパートで買い物をするんなんて滅多にないことで緊張する。お菓子を購入したお店のお姉さんに、それらをまとめて配送したいという旨を伝えれば、快く了解してくれた。ケータイにメモしていた彼の住所を見ながら、渡された伝表に必要事項を記入していく。
 指定日は彼の誕生日。当日に会えはしないけれど、プレゼントだけでもその日に彼に届けたかったからだ。突然、自分宛に小包が届いたら彼は驚くに違いない。しかもそれを開けて見れば、その日は会えなかった彼女からの誕生日プレゼントで、自分の好きなお菓子だったらきっと喜んでくれるだろう。苦肉の策だったわりに、なかなか良い案なような気がしてきたぞ。その日の私は意気揚々と家路に着いた。
 しかし後日、それを受け取った彼からは「お中元が来たんかと思いましたわ」と盛大な嫌味を言われて正気に戻る。
 ……確かに、言われてみればタオルと箱詰めのお菓子なんてお中元みたいだった。


 そんな自分の失態をほとんど忘れた頃、今度は私の誕生日がやってきた。彼も部活はすでに引退しているはずなので、今度こそ一緒に祝えるかと思えば、塾の冬期講習だとかで結局は当日は会えないことが判明する。そういえば彼は今年受験生だったと今更ながら思い出した。
 誕生日当日、しょんぼりした気持ちで学校から家に帰ると、玄関に小包が置いてあるのに気づいた。宛名を確認すれば私宛で、送り主は彼の名前だ。いてもたってもいられず、わくわくして靴も脱がずに、その場でそれを開封しはじめる。見覚えのあるデパートの包みを一枚剥がせば、ご丁寧にお歳暮と書かれたのし紙が現れた。
 あ、とそこで嫌な予感がする。
 のし紙を剥がし、恐る恐る箱を開ければ、贈答品用のどでかいハムが二本、存在感たっぷりに鎮座していた。
 思わずがくっと項垂れる。
 彼が結構根に持つタイプだということをこのとき初めて痛感した。私に文句を言う資格はないんだろうが、ないんだろうが、ハムって……せめて私もお菓子がよかったなと思った。
 けれど食べてみれば、ハムは美味しかったので、きちんと全部平らげた。私一人では食べきれなさそうだったので、家族にも振舞う。母からは「アンタ、一体どんな人と付き合ってるん」と訝しがられたが、気にしないことにした。


 その後にあったクリスマスは私の親戚に不幸があり、急遽母方の親戚のところに行かなくてはならなくなってしまったて一緒に過ごせなくなった。そのことを彼に電話口で半泣きの状態で知らせれば、「ああ、そうですか」の二言で終わった。


 そんなこんなで私たちは今まで記念日運がなかった。
 しかし普段はそれなりにカップルとして過ごしているつもりだ。デートだって月一くらいはちゃんとしているし、メールだって電話だって、すれば必ず返信してくれる。そう友達に力説すれば、「それってほんまに付き合ってるん?」なんて疑いの目を向けられるけど、私はめげていない。男女交際は、人それぞれ。いろんな付き合い方があるはずだ。そう他人には説明する。そして自分にもそう言い聞かせている。
 そしてこの春、晴れて彼は高校生になった。残念なことに私とは違う高校だったがめでたい。部活は中学に引き続きテニス部に入部したらしい。まあ、ここまでは想定内だ。しかし彼は部活に加えてアルバイトも始めたらしい。部活だけでも大変なのに何故アルバイトなんか始めるのかと問えば、「まぁ、いろいろっスわ」と適当にはぐらかされた。
 そうして慌ただしく春が過ぎ、梅雨が明け、そろそろ夏が顔を出し始めた。もうすぐまた彼の誕生日になる。いや、その前に私たちが付き合って一周年の記念日があった。
 彼の部活とアルバイトの予定の所為で、最近はほとんど会えてもいない。駄目元で連絡しようかとケータイを手にしたとき、丁度彼からその日に〈会いましょう〉と連絡が来た。部活が急遽なくなったらしい。すぐに了承の返事を送り、その流れで待ち合わせ場所と時間も決める。
 久しぶりに彼に会える。しかも記念日当日に。ケータイを持ったまま自室のベットにダイブし、全力でバタ足をした。彼がその日を何の日だか覚えているかは大変怪しいが、それはこの際良しとしよう。
 だってはじめて一緒に過ごせる記念日だ。絶対、楽しい日にしよう、そう意気込んでいた。


◇◆◇


 そんな風に待ちわびていた今日この日。彼の遅刻という予期せぬ形で幕が上がった。
 そして今、観ている映画は私になんの相談もなしに選んだなんとまさかのスプラッタホラー。私は開始三分の段階で薄目で画面を観るようになり、五分の段階で完全目を閉じて、そしてそのまま最後まで心の中で念仏を唱える羽目になる。
 地獄のような二時間半が過ぎ、上映が終わったようだ。そうとは知らず、まだ席でうずくまっている私の肩を彼が叩いた。突然の刺激に必要以上に驚いて悲鳴をあげてしまい、周りからも彼からも一斉に白い目で見られる。先ほどとはまた違った寒さを感じた。

 映画の後は、彼が最近良く訪れるという甘味処へ行くことになった。丁度おやつどきだということもあり、店内はウエイティングしなければならないほど混雑していた。少々の待ち時間の後、店内の席に着く。結構有名店らしく、周りの席も全てカップルや女性たちで埋まっていた。

「なかなかシュールな映画やったね!」
「アンタ、ほとんど観てへんかったやろ。しかもなんやブツブツうるさいし、最後は叫びよるし」
「映画の途中で叫ばんかっただけでも褒めてほしいんやけど……」
「つか、怖かったんなら普通、……なんでもないっスわ」

 彼は何か言いかけた次の言葉の代わりに呆れたようなため息を漏らした。吐き出された空気が重い。結局、あまり会話も弾まないまま、お互い注文の品が食べ終わってしまった。出入口付近をちらりと目配せすれば、もう待っている人はいなかった。ならば、もう少しここにいても問題はないだろう。きっと今日の雰囲気だと、ここを出ればこのまま解散だってありえる。そんなのは嫌だ。せっかくの記念日、彼が忘れてるにしろ、このまま分かれてしまうのは悲しすぎる。なんとか少しでも楽しい思い出を作りたい。

「ほな、暗くなる前に出ましょうか」
 しかし、彼はそう言ってとっとと伝票を手にとり立ち上がってしまった。
 暗くなる前にってなんだ。まだ五時にもなってない。夏だから夕暮れにもなっていない時間帯なのに、暗くなる前にデマショウカ?

 いつまでも立ち上がらない私を彼が怪訝そうに振り返る。
 ふるふると視界が揺れて彼の顔も今は歪んで見えた。食いしばっても食いしばっても、止まらない。それを隠すようにうつむけば、待ってましたとばかりに瞳から溢れ落ちてしまった。

 会いたくないんだったら、連絡なんかしてこなければよかったのに。好きじゃないなら、別れればいいのに。
 本当はずっとそんな気がしてた。彼が、私が彼を思うように、私のことを思っていないんじゃないかってこと。それでもずっと彼の心に目を背けていたのは、そうすれば面倒事を嫌う事流れな主義な彼のそばにいられると思ったからだ。
 私さえ気づかなければ、気づいたそぶりを見せなければ、ずっと一緒にいられるはずだと。自分の気持ち無下にされても、やっぱり私は彼のことが好きだったから耐えられると思っていた。

 でも、もうダメだ。
 小さな不信感が積もり積もって、涙となって体外に溢れ出てしまった。
 一度溢れ出したものはもう止まらない。店内で突然嗚咽交じりに声をあげて泣きじゃくる私は、きっとさっきの映画館で悲鳴を上げたときより他人の注目を集めていることだろう。恥ずかしい、でもどうしてももう止めることができない。
 彼が大きなため息をついた。びくっと私の肩が震える。ややあって彼は何も言わないまま、さっきまで座っていた向かいの席に座り直した。てっきりこのままお店に置いていかれると予想していただけに少し驚いた。でも彼は黙ったまま、何も言ってくれない。彼は最後まで彼を貫き通すつもりらしい。また涙が迫り上がってきた。
 そのまま泣き続けていると、あまりにも酷い私の様子を見兼ねた店員の人が声をかけにやってくる。彼がそれを「すんません、ちょ待ってもらえますか」と追い返してくれた。店員のお姉さんが苦笑いで元いた場所に戻っていく。嗚咽は次第にスンスンという鼻をすする音に変わり、無限に溢れ出てくると思っていた涙が有限であるということがやっとわかった。

「泣き止みましたか?」
 私は小さく頷く。彼に手を取られて、のろのろと立ち上がり、会計を済ませてからお店を出た。
 とぼとぼと歩いている道が帰り道でないことに気づいたのは、湖がある公園の芝生をいくらか進んだ頃だった。

「……帰るんやなかったん?」
 私が立ち止まって声をかけると、彼が振り返った。
「そのぐちゃぐちゃの顔のまま帰ったら、アンタ家族に心配されますよ」
「……大丈夫や。帰り道で派手にコケたことにする」
「高校生にもなってコケて泣くとか無理ありすぎるやろ。そんな嘘すぐにバレんで」
「残念でした。私、こないだもコケて泣いたん家族知っとるから、信憑性ありますぅ」
「それなんの自慢っスか? 阿保ちゃいます?」
 どおりで膝がなんか青いと思うたらそれかいな、と呆れたように睨まれた。その冷たい視線が私の脆く砕けかかった心を再び攻撃する。これ以上彼と一緒にいたら、私の心はたぶん塵になってこの世から消えてなくなってしまうだろう。
「もう、帰る! 放して!」
「帰り急いでるんですか?」
「急いでるんは光クンやろ!」
 握られていた手を強引に振りほどいた。その勢いで、彼が何歩か後ずさる。

「お、お店出るとき早く帰りたそうやった! 遅刻するし、映画は怖すぎやし……部活やバイトや言うて全然構ってくれへんし、誕生日はハムだし、クリスマスは「ああ、そうですか」だった!」
 そう一気に今まで溜め込んでいた気持ちを言葉にして吐き出した。そうすることで改めて彼が私のことを好きじゃないんだと気づく。一度は引いていたはずの涙が再び溢れだしてゆく。
「光クンなんかーー」
 嫌いだ。
 そう思えるならどんなに楽だろう。私のこと好きじゃないとわかってるくせに、嘘でさえ嫌いだと言えないほど、私はまだ彼が好きで好きで好きでしょうがない。握った拳が、噛んだ下唇が、砕けた散った心が、痛くて苦しい。こんなことなら彼を好きになるんじゃなかった。去年の今日、勢いで彼に「好きだ」と伝えた自分をさっき観た映画の登場人物のように呪い殺したい。

 たっぷりと間を開けて、彼が大きく深呼吸をしたのがわかった。
「まぁ、まず、今日の遅刻は謝りますわ、すんません。ただ、理由は聞いてほしい。昨日バイトが予定より遅うまでになってしまって、帰りに行く予定やった店に寄れんかってん。せやから、今朝待ち合わせ前に寄ってました。これが遅刻のほんまの理由」
 彼はポケットから小さな箱を取り出した。手のひらサイズのそれはきちんと包装紙に包まれて、可愛らしいリボンまでかけてある。ん、っと言って彼はそれを私の方に突き出した。けれど私がなかなか受け取らないもんだから、しびれを切らしたように彼が強引に私の手を取り、それを握らせた。

「バイト始めたんはソレを買うためや。小遣い貯めて買うのはなんかちゃう気がして、バイトしよう思ったんやけど、部活の合間にしかできんかったからなかなか思うように貯まらんくて、結果部活以外の日はほとんどバイトになってん。それでアンタに寂しい思いさせてたんなら、謝ります。せやけど、アンタ、今まで何も言わへんかったやん。いっつも一人で我慢して溜め込んで、そのたび年下やから頼り甲斐がないって責められてるみたいで俺が腹たってたん、アンタわかってましたか?」
 そんなつもり、私には一ミリもない。私が何も言わなかったのは、私が彼を好きすぎて余裕の欠片もない年上だということが露見して、嫌われたくなかったから、それだけだ。

「あと、ハムはアンタが悪い。付き合うて初めての誕生日にお中元なんか送られた奴の身にもなれや」
 ごめんなさい、と小さく謝れば、でもあのお菓子うまかったスわ、と返ってきた。

「それから、さっき店を早よ出ましょう言ったんは帰りたいからやなくて、ソレをアンタに早く渡したかったからや」
 私は俯いたまま、手のひらの中の小箱を見つめた。
「……ねえ、コレ、何?」
「開けてみればええんとちゃう?」
 震える指でリボンの端をつまみ、包装紙を丁寧に剥がす。出てきた硬い箱を開けると中にはキラリと星が二つ輝いていた。

「コレ、何?」
「見たらわかるやろ」
「わからへんよ、こんなん……」
 箱の中の小さな星をもう一度見る。私の見立てが正しければ、これはピアスに間違いない。けれど、私が本当に聞きたいのはコレが何かということではない。コレはいったい何を意味する物なのかということだ。

「今日で、丁度一年やろ」

 忘れている、もしくは記念日なんてくだらない、そうな風に考えているのだとばかり思っていた。

「光クン、私のこと好きなん?」
「好きやなかったらこんな阿呆と付き合うてません」
 泣きはらした顔で彼を見上げれば、意地悪そうに顔を歪めて微笑んでいた。それは私が好きになったいつもの彼だった。堪らず彼に思いっきり抱きつく。うっ、と呻き声が上がったので、慌てて腕の力を緩めれば、今度は彼の方から強く抱きしめ返された。
 
「もう不満とか不安とかに思おてることありませんか?」
 優しくあやすように彼が頭を撫でてくれる。さっき“嫌い”なんて言わなくて本当に良かった。心からそう思う。だから思い切って、ずっと気になっていたことを彼に聞いてみることにした。



「外人の幽霊に念仏は効くんやろか」
「知らんわ、阿呆」
 本日何度目かわからないため息の後、彼が小さく笑ったのがわかった。



inspiration by music:きゃりーぱみゅぱみゅ『スキすぎてキレそう』