「少々お待ち下さい」
 店員がそう言って奥へ消えって行った。
 私は壁に掛かっている店の時計を見て、時刻を確認する。午後の部活が始まるまでまだ余裕がある。何か他に買い忘れはないかと頭の中のメモをなぞっていると背後でドアベルが鳴った。反射的に振り返れば、そこに立っていたのは今一番この場で会ってはならない人物であった。

もおやつ買いにきたん?」
「え、なんで、ここにいるの?」
「がっくんらが腹減ってコンビニ行く言いよるからついてきてん。ほならここ入ってく自分見かけて……にしてもおやつにわざわざケーキ屋なんて今日はやたら豪勢やなぁ」
 あんのお馬鹿共ぉと身体が小刻みに震えた。よりによってなんでこのタイミング。

「お待たせしました、お客様。ご確認よろしいですか?」
「あ、」
 止める間もなく、戻ってきた店員は持ってきた箱から私が注文した品を出してしまった。
「プレートは『ゆうしくん おたんじょうび おめでとう』でお間違いないでしょうか?」
「……ハイ」
 チーン、とお鈴の音が頭の中で鳴り響いた。あぁ南無三。

「お持ち歩き時間はーー」
「聞かれとるで」
 ショックで喪心していると隣にいる彼に腕を小突かれ、我にかえる。
「あ、すぐそこなんで大丈夫です」
「ろうそくはおつけいたしますか?」
 何か誤魔化す方法はないかと必死に考え巡らすが何も浮かばない。
「……えっと、十五本お願いできますか?」
 結局正直に答えることしかできなかった。小声で言ってみたものの隣の彼にはバッチリ聞こえているはずだから全く意味はないだろう。
「はい、かしこまりました。それではお会計はーー」
 言われた金額を持ってきた封筒から支払う。テキパキとした動きでお会計が済み、有難うございましたという挨拶に見送られ、二人揃ってお店を出た。
 しばし無言で歩みを進める。


「あのさ! 違うの! これはさ、その違うんだよ!」
 沈黙に耐えられなくなり、先に口を開いたのは私の方だった。立ち止まった私を振り返り不思議そうに見つめる彼もまた歩みを止めていた。
 終着地点を決めていない言い訳が脳みそをあまり通さないまま私の口から出てゆく。
「隣のさ、隣のクラスの、タカギユウシくん! 今日誕生日なんだって!」
「ふーん……さよか」
 そして再び沈黙がおとずれた。
 木枯らしが吹き、乾いた葉が足元で舞う。気づけばもう小さな秋の訪れである。
 全く暑くないこの季節。むしろちょっと寒いくらい。なのに私は何故、今、汗をかいているんだろう。

「……」
「……」
「……」
「……」

「っツッコんでよ! 嘘じゃん! どう考えても! てか、薄々感づいてたでしょ! どうせ!」
「ソレ、振ったらまずいんちゃう?」
 興奮している私とは対照的に彼はとっても冷静だ。揺らしてしまった先ほど買ったばかりの商品を思い出しヒヤリとした。中の無事を確かめるため、開けようかと思ったが道端なので我慢する。

「……気づいてたんでしょ、どうせ……」
 もう完全にアウトだ。せっかく頑張ってここまで用意をしたのに、と落胆が隠せない。彼を責める謂れはないのに、咎めるような口調になってしまい、それもまた自己嫌悪の材料となる。
「んー……なんや最近避けられてるんかな? とは思っとったけど……」
「ごめん……」
「俺の目見て話さんようになるし、一緒に帰ろう言うても断ってくる日続いとったしな」
 だいぶ挙動不審やったでと彼が微かに笑った気配がした。
「ごめん……」
 彼のサプライズバースデーパーティーを企画してから約一週間。私は隠し事が上手くないことを自分でもよく理解していたので、露見しないように極力彼を避けていた。バレてしまったら台無しになってしまう。私は慎重に真剣にこの計画を進めていた。なのに、最後の最後で蹴つまずく。なんともそこが私らしくて涙が出そうだ。

「早う言うてくれたら良かったんに」
「ごめんなさい……」
「こっちこそ気づいてやれんくてごめんな。ほな、タカギくん? とお幸せに」
「ハイ?」
 彼の意味のわからない言動に思わず返事の声が裏返った。
「せやから、俺と別れてそのタカギユウシくん? と付き合うっちゅう話ちゃうの?」
「タカギって誰?」
「いや、自分がさっき言うたんやん? 今日誕生日のタカギユウシくん」
 何を言っているのかと思えばさっきの私が言った支離滅裂な言い訳を蒸し返しているらしい。なんというか、こういう嫌味なやり口はなんとも彼らしい。
「馬鹿じゃないの! だから嘘だって言ってるじゃん! 今日誕生日なユウシくんはあんたでしょ! 忍足侑士くん!」
 まぁ、そやろな。隣のクラスにタカギなんて奴おらんし。と、しれっと言いながら笑う彼に腹が立ち、睨みつけるが彼はてんでお構いなしだ。

「でも、どないしてん、急に。去年もその前も別に何もせんかったやろ?」
「それはーー」



 今年の跡部景吾生誕祭はいつも以上に凄かった。お昼休み、校庭にはいくつもの円卓が並べられ、あちこちに真っ赤なバラが飾られていた。跡部様直々に手配したというシェフによって、普段滅多にお目にかかれないであろう高級料理たちが振舞われる。さながら全校生徒を巻き込んだ立食パーティーだ。
 私はとりあえずローストビーフと鴨のコンフィとイベリコ豚の生ハムをお皿に盛り付けて、ノンアルコールシャンパンを片手に立っていた忍足の隣に並んだ。

「自分、肉ばっかりやな」
「え? ダメ?」
「いや、ええんとちゃう?」
 せっかくなんだから忍足も食べればいいのにと言えば、見ているだけで腹いっぱいやと笑われた。

「毎年、毎年、ほんまようやるわ」
 まるで結婚式の高砂のような一段高いテーブルで高らかに指パッチンしている我らが部長を遠目から見る。
 彼の合図で運ばれてきたのは、これまたウエディングケーキのような何段にも重なったどでかいバースデーケーキだった。
 ハッピーバーズデートゥーユーと全校生徒の大合唱の後、跡部はそれに一人で大きなナイフで突き刺した。シャッターチャンスだとでも言いたげにポーズをとっているのが可笑しくてたまらなくなり、私と忍足は二人で忍び笑いをした。

「せやけど跡部はええな、みんなから愛されとって」

 笑いが落ち着いて、眼鏡をずらし目尻の涙を拭きながら、そんなことを何気なく言った彼が心底意外だった。驚いてうかがった彼の表情は特段変わった様子はない。ほな、もう教室もどるわと言って去っていく後ろ姿を何も言えず見送った私は急に不安になったのだ。
 てっきりあんまり騒がれるのは好きじゃないんだと思っていた。別にうるさいのが特別嫌いというわけではないだろうが、その中心にいることはなんとなく避けているような、そんな気がしていた。いつもほんの少しだけ離れて、なんだか参観日のお父さんのようにみんなを見守る立ち位置を好んでいるんだとばかり思っていた。
 でもそれは私の一方的な思い違いだったのかもしれないと初めて気づく。



「長く一緒にいる間に勝手にさ、わかったつもりになっちゃってたのかなって」

 別に彼の誕生日だからって何もしなかったわけじゃない。他の部員の誕生日だって結構適当だ。おめでとうって言って帰り道でちょっとおごりあったりするくらい。あんな風に盛大にお祝いするのは跡部の誕生日くらいなもんなんだ。というか勝手に跡部がやってるだけだけど。
 けれど思い返せば彼の誕生日は特に何もなく過ぎ去っていたかもしれない。しかも同じ月初めに盛大なものがある分、比較してしまえばより一層彼を寂しく感じさせてしまってたんではないだろうか。
 忍足の隣が私の当たり前の場所になってもう長い月日が経っていた。
 知らぬ間に積もった小さな誤解で彼を寂しくさせていたのなら、それはどうしても挽回したかった。

「忍足もさ、みんなから愛されてるんだよって、今年はちゃんと伝えようと思ったの」

「そういうことか」
「ハイ……」

 結局全て白状させられ、項垂れた私の頭に彼の大きな手がのせられる。ポンポンとあやすように動いた掌の重みは暖かく優しい。
「まぁ、別にあの発言は深いイミがあったんとちゃうけどな」
「アレ?」
「でも、嬉しいわ。おおきに」
「サプライズ失敗しちゃいましたけどね」
「間あ悪いことしてすまんかったな。でもテンパった自分可愛かったで」
「うるさい」
 私は、照れを誤魔化すために頭に乗せられていた彼の手を振り払って、大股で歩き出した。しかし悲しいことに彼と私では持っているコンパスの長さがまるで違う。すぐに追いつかれてケーキを持っていない方の手を捉えられた。



「ほな、先帰っとるな」
 もうすぐ学校につくというあたりで繋いでいた手を解いて、彼がそう言った。
「なんで?」
「ソレ、気づいとらんフリした方がええやろ?」
 苦笑いしながら、ケーキを指差されて納得する。
「……お気遣いドーモ」
 どこまでも一枚上手な彼に頭が上がらない。いつでも冷静に周りを気にかけられる中学生らしからぬほど大人っぽい部分を好きだと思っていたけど、今日はそこが憎らしい。そして憎らしいけど、やっぱり好きだから困る。

「あのさ、ーー」
 ほなな、と言ってすでに正門をくぐろうとしていた彼の背を呼び止めた。
 彼がゆっくりと振り向いたのを確認してから俯いた。
 
「私、忍足のこと大好きだよ。生まれてきてくれてありがとう」
 下を向いたまま零した私の言葉はアスファルトの地面に跳ね返り、彼の耳まで届いただろうか。
 うかがうようにチラリと目を上げれば、今までに見たことないほど赤面している彼がいた。
 驚いて凝視している私の視線に気づいたのか、彼は誤魔化すように手で口元を隠してから目を泳がせた。
「自分、何突然爆弾落としてんねん」
 かなわんわぁ、と風に吹き飛びそうな小声で彼が呟く。
「今日じゃないと言えなさそうだったから、言ってみた」
 私の言葉で彼がこんなにも揺さぶられることを発見して、胸の辺りがむず痒くなる。ニヤニヤと緩みそうな口元をなんとか押し込める。
「心臓に悪いわ。この後の部活、集中出来んかったらどないしてくれんねん」
「跡部に言いつけて怒ってもらう」
「おい! 彼氏売るなや」
 頭を拳で優しく小突かれ、視線が合う。二人して真っ赤な顔をしてるから、結局お互でそれを笑いあった。

「今日は一緒に帰ろうな」
 ほのかに頬に赤みを残して私を見下ろす彼の視線は柔らかかった。


 部活が終わった後、プレートがちょっとだけ斜めに埋まったケーキをみんなで食べた。
 みんなの中心にいる彼は幸せそうな顔をしていた。


 ゆうしくん おたんじょうび おめでとう