制服のまま自分のベットに倒れこむ。
ベットのスプリングが弾んだ拍子に枕元の目覚まし時計が落ちて頭に当たった。
地味に痛くて腹が立つ。けれど今は動く気がしない。
下で母親が何か叫んでいるが、それも適当に無視して、俺はそのまま目を閉じた。

新学期から当初の予定通り、俺はテニス部の部長になった。
面倒だとは思ったが、他にやる人間がいなくてしょうがなく引き受けた。
まあ部長って言っても別に大したことをするわけじゃないでっと引き継ぎのときに前部長が笑いながら言っていたから、まあ大丈夫かと思っていた。
しかしそれは大きな間違いだった。
まずは部室の鍵の管理。俺が開けて、閉めなくてならないから、必然と一番早く来て一番遅く帰らなくてはならない。
それから練習メニューの作成。これは俺一人ではなく、顧問のオサムちゃんと一緒に。けれど各部員の様子や次の試合の相手のデータを見ながら、スケジュールも考慮に入れて細かく考えるのは至難の技だった。
あとせっかく考えたメニューを勝手に抜け出す阿保(金太郎とか金太郎とか金太郎とか)を連れ戻したり、片付けても片付けても意味のわからない物で散らかる部室を片付けたり、毎日毎日同じようなことを繰り返さなければならないのが地味に堪える。
職員室に行けば、来年も全国期待してんで!っといろんな先生に背中を叩かれるのももううんざりだった。
ウチは別に普通の公立中学で、特別な施設もなければ優秀な選手を引っ張ってこられるわけでもない。
だからそもそも二年連続で全国に行けたのが奇跡のようなことなのだ。先生たちはそれを忘れているんだろうか。
それからもちろん自分の練習も手を抜くことは許されない。勝ったもん勝ちっという精神は、裏を返せば負けたもんは負けという意味だ。どんなに部長として部に貢献しようが、努力して練習しようが、公式戦で勝てなければ何の意味もないという容赦ないスローガンだ。
こんなものを二年もやってのけたのかと部長を改めて見直した。
普段は他の先輩たちと阿保ばっかやっていたけれど、その陰で彼も今の自分が苦しんでいるようなことをこなしていたはずだ。
なのに何が大したことするわけじゃないだ。
それとも部長にとって、これらのことは本当に大したことではなかったんだろうか。
そう考えるとさらに落ち込む。
部長になってからまだ三ヶ月も経っていないのに、俺は毎日毎日ヘトヘトだった。
肉体的にも精神的にも、もう限界だ。

ズボンのポケットに振動を感じて目を覚ます。
知らないうちに少し眠ってしまっていたようだ。まだ意識が朦朧とする中、ポケットからケータイを取り出す。
誰やねん、起こしやがって!とやや苛立ちながらディスプレイの文字を見ると思わぬ人物からだったので心臓が跳ねた。
「もしもし」
「あ!やっと出た!もしもし?もしかして寝とった?ごめん、せやったらまた今度で−」
そう言って電話を切ろうとする先輩を止める。
「寝てへん。今ちょうど音楽聴いててケータイに気づくの遅れただけっスわ」
欠伸を必死に噛み殺しながら嘘をつく。
「そう?別に大した用じゃないねんけどな。どうしてるかなぁ?って思って…」
目を閉じて久しぶりに聞く先輩の声に耳をすませる。
先輩、先輩。先輩は俺の二つ年上で、俺が一年生だった頃テニス部でマネージャーをしていた人だ。
「別にいつも通りっスわ」
「そっかあ。部長業は慣れた?」
「…ぼちぼち」
今まさにそのことでへこたれていたなんて、彼女には言いたくなかった。
「そっか…あ!今度な、久しぶりにまた差し入れしに行ったろう思って!光クン何食べたい?」
マネージャーは彼女の下が育たず、結局もう今は誰もいない。
そのことに少し責任を感じているのか、今でも彼女は時々部活に差し入れをしに来てくれる。
大量の駄菓子や、たこ焼き、たまに手作りのお菓子。そんなものを持って、手を大きく振りながら嬉しそうに俺の名前を呼ぶ姿を見れば、いつだって練習の疲れも和らいだことを思い出す。
「まぁなんでもええですよ。食べられるもんやったら」
「あ!酷!まだこの前失敗したクッキーのこと覚えてるん?たった一回の失敗やろ!もう!」
「そんなこと言うて、バレンタインもチョコレートケーキ焦がしてましたやん」
「ちょっとやろ!食べれないほどやない!」
ケータイ越しにムキになっている彼女の姿が浮かぶから、ついつい口元がニヤけてしまう。

今年のバレンタイン、差し入れと称して大量のチロルチョコを持参してやってきた彼女。
去年も同じものだったらしいので、さして驚きはしなかったが、俺はちょっと残念な気持でそれを受け取ったのをよく憶えている。
彼女とは結構親しくなれたと思っていた。部活終わりに何度か一緒に帰ったことだってあるし、何より部員を彼女が下の名前で呼ぶのは俺のことだけだ。
だからもしかしたら、彼女も俺のとこを特別に感じてくれているのではないかと思っていたのに、結局俺のポケットには他の奴ら同様チロルチョコのみ。しかもそのチロルチョコはピザ味という完全なハズレだった。
しかしその日の部活が終わり、練習を最後まで見学していた先輩に再び声をかけられた。
あんな…と視線を逸らしながら赤い顔をしている先輩は大事そうに小さな袋を抱えていた。
「本命やったら貰ってやってもいいですよ」
と生意気なことを言えば、先輩は赤い顔をさらに赤くして、それを俺に差し出した。
下を向いて自分のことで精一杯といった様子の先輩は気づかなかったようだが、俺だってそのとき先輩に負けないくらい顔を赤かくしていたんだ。

「まぁ、そういうことにしときましょうか」
「もう!ほんまに意地悪やな、光クンは!」
それから俺たちは部活じゃなくても会う仲になった。一緒に映画を観たり、本屋やCDショップに行ったり。彼女が嬉しそうに自分の隣にいるのが少しずつだけれど当たり前になっていった。
けれど夏になり、全国大会をひかえ練習が厳しくなり会える時間が極端に減った。そして秋になり、俺が部長になればメールや電話さえ回数が目に見えて減っていった。
彼女のことがどうでもよくなったわけでは決してない。
自分のことに精一杯すぎて、どうしても彼女にまで手が回らなかっただけだ。
そんなことを知ってか知らずか、彼女は俺を一度だって責めたりなんかしなかった。
ただただ俺を見守るように優しく接してくれる。普段はおっちょこちょいで年上なんて素振り全然見せないくせに、こんなときだけ大人な様子を見せるもんだから彼女を少しだけ遠くに感じて勝手に寂しくなった。

「…ほんまになんでもええなら、善哉」
「それは…ちょっと、差し入れには不向きなんちゃう?うーん…善処してみるけども…」
「…嘘。ほんまになんでもええです。せやから−」
早う来てください。と出来るだけ早口で言った。
ふふふっと笑う声が聞こえて、耳に熱が集まるのを感じる。
「うん。今週中には行くな」
「明日来てください」
「急やな。差し入れ間に合わへんわ」
「せやったら、もうそんなんいらん」
何もいらないから。先輩が来てくれるだけで十分だから。
会いたい。年下で子供な俺は、先輩と違ってもう限界なんだ。
「わかった、わかった。ほんなら明日そっち行くな」
ハイっと小さく返事をして電話を切ろうとすれば、あっと言う彼女の声で再びケータイを耳に付ける。

「あんな…あたしもな、もう限界やねん。明日はいっぱい光クン、充電させてな」

ほなな!と慌てて切られた電話はすでに通話終了の電子音が鳴っていた。
きっと今、彼女も俺も電話を手にしたまま、あの日のように同じ赤い顔をしているに違いない。

ケータイを充電器に立てる。
パンパンと自分の両頬を叩き、活を入れた。
そうだ、とりあえず制服を脱いでシャワーを浴びよう。それから夕飯だ。
学ランをハンガーに掛けて、部屋を出た。

明日が楽しみなんて久しぶりの感覚にむず痒くなる。
我ながら単純すぎて笑えたが、悪い気はしなかった。



inspiration by music:SURFACE『君の声で 君のすべてで...』