※若干不健全

真田家は普段から夏は日中あまり明かりを使わない。自然の光で必要十分だかららしい。
いつも煌々と照らす照明に慣れている私には、幾分暗く感じる。
先ほどから弦一郎と一緒に勉強をしているこの部屋は日があまり入らないので、より暗い。
けれど、その分涼しい。日本家屋独特の香りを含む風が縁側の風鈴を鳴らす。
冷房の涼しさにはかなわないが、こういう夏の過ごし方を私は気に入ってる。



ちゃぶ台で各々の教科書や参考書を広げ、黙々と勉強すること早二時間。
真田家には今、私たち二人しかいないからとても静かだ。お爺さまは道場で子供たちに夏休み剣道教室を開催中で、お父さんはお仕事、お母さんはお買い物。お兄さん夫婦は家族三人で旅行中だそうだ。
私たちも高校最後の夏休み、何か特別なことをした方がいいかなと思うけれど、特に思いつかず、結局真田家に毎日のように入り浸り勉強をしているだけである。あぁなんて学生の鑑なんだろう。そんな自分と弦一郎に若干呆れる。

そろそろ休憩したいな、なんて考えながら別の参考書を手に取ろうとしたとき、私の左肘に何か触れた。
あ、麦茶のコップだ!と思った瞬間、右隣にいた弦一郎がそれに気づき、慌ててそのコップに手を伸ばした。



と思った瞬間グラリと身体が倒れ、背中に畳を感じた。
天井と弦一郎が見える。そのままたっぷりの時間、私たちは見つめ合う。
外では蝉が鳴いている。
ごくんっと弦一郎の喉仏が上下運動したのを私は見逃さなかった。

しばらくして弦一郎は私の上から無言で静かにどいた。そして私とは少し距離をとって正座をしたかと思うと、急にバチンバチンっと自分の頬をビンタし始めた。
「ちょ、ちょっと!何やってんの!怖いんだけど!」
彼の右手を掴みやめさせる。弦一郎の頬は赤くなっている。
「俺は今、自分を律しているのだ。邪魔しないでくれ」
「いやいやいや、怖いからやめてよ」
「…本当にすまない、お前も嫌だったろう」
そんな大罪を犯したあとのような表情はやめて欲しい。私はこれっぽっちも彼を責める気はいないのに可笑しな話だ。
「私、嫌じゃないよ」
「…なん、だと…」
弦一郎はいつだって私よりあの毛が生えたみたいな黄色い球を追いかけていた。
何がそんなに楽しいかさっぱりわからないけど、あの意気揚々とした高笑いを聞くたびに何故だが私はもっと弦一郎を好きになった。
だから別に今まで彼に不満を持った覚えはない。
でもたまには、ほんとに極たまに、一瞬でいいから、私のことも見てくれたらなとは思っていた。
置いてかないでって、一人でどっか行っちゃわないでって、口には出したことないけれど。

「私のことお嫁さんにしてくれるんでしょう?なら、いいんじゃない?」
また弦一郎の喉が鳴った。あともう一押しだ。
「弦一郎、私に弦一郎をちょうだい」
彼の逞しい腕にすり寄り、身体を押し付ける。こっちを向いて、今は私だけを見つめて。目を逸らさないで。今だけ今だけ。
弦一郎はそんな私を見下ろした。



あぁ、やっぱり暑いな、喉が渇いた。麦茶は、さっき溢れてしまったっけ。
一度鎖を千切れば、あとは野獣。
ものすごい熱量が私を圧倒する。暑い、暑い、クラクラする。
弦一郎の舌が、指が、通った場所がどろりと溶けそう。

弦一郎が私の二番目のボタンを外そうとしたとき、玄関の引き戸が大きく音を立てた。 弦一郎が跳ね起きたので私に体重がかかり、苦しくてたまらず唸る。

ちゃーん、弦一郎ー!西瓜買ってきたわよー!」
弦一郎のお母さんが買い物から帰ってきたようだ。


◇◆◇


「…ってことがありました。以上」
「ふーん、結局未遂だったってことかー」
「まぁ…」
「真田がなんで急にこんなもの欲しがったのかなかなか教えてくれなくてね。君に聞いたらわかるんじゃないかなって思ったんだよ。やっぱり正解」
弦一郎もいちいち幸村に相談するのやめればいいのに。面白がられてるのわからないんだろうか。
「じゃあ、コレは君から真田に渡してあげてね」
そういって渡された煙草サイズのパッケージには『0.03mm極薄!』と表記されていた。