千歳は優しい、もとい狡い。
腹立たしいのは私ばかり。



それは三年生になったばかりの四月。五限目の授業が特別教室で、昼休みが終わる頃に移動していたんだけど、途中で教室に忘れ物をしたことに気づき一人で引き返した。
しかし結構教室が離れていたため、途中でチャイムが鳴ってしまった。途端に面倒くさくなり、サボろうかと思案しているとタイミングよく非常階段の扉が開いているのを見つけた。 少し寒いが過ごせないほどではないだろうと思い、扉をあけるとそこにはすでに一人と一匹の先住民がいた。
それは季節外れの転校生、チトセセンリくん。名前と顔くらいは知っているが、他は何もしらない。失礼しましたと開けた扉を閉めようとしたら、ぐいっと腕を掴まれ引き寄せられた。
急に何するのだ!と抗議しようとしたら、チトセくんはしっ!と人差し指を自分の唇にあてた。 猫が開いたドアの隙間から校舎に入ってしまう。

「なんや、猫か。誰や校内に入れたんわ、まったく」
すぐ近くで教師の声がした。それから遠のく足音。
「あーあー猫もはってってしもうた…」
「なんで先生来るのわかったん?」
「勘たい」
ものすごいいい笑顔で返答された。変な人。
それが彼と私の出会いだ。何てことはない。



あれからちょくちょくあの非常階段の踊り場を覗くが、彼と会える確率は三割五分くらいだ。 彼にとってここは何箇所かあるサボり場所の一つのようだった。 私はここしか知らないからあまり会えない。まぁ、会ったところで何をするわけでもないのだけれど。
ただ隣にいて、ちょっとしゃべったり、プリンを一緒に食べたり。この間は将棋を教えてもらった。
猫は私にはちっとも懐かなくて、私が来ると大抵どこかに行ってしまう。雌猫なんじゃないだろうか。

今日はそんな彼を珍しく廊下で見つける。知らない女子としゃべっていた。
無性に腹がたった。そんな権利がないことはわかっているけれど、それでもどうしても腹が立った。

次の時間、避難階段へ向かうと彼がいた。
警戒心なんてない締まりのない笑顔が私に向けられる。さっきの女子にもそんな顔していたなと思い出す。
私は貴方の特別ではないという現実を今日改めて思い知る。その現実に打ちのめされて、私は今、頭のネジが一本飛んでいるに違いない。
いつものように猫を抱えて両手がふさがっている彼にキスをした。
彼がどんな反応をするかと窺えば、特に変わらぬいつもどおりの腑抜けた笑顔だった。 驚くでもなく、拒絶するでもなく、しかし積極的にそこから舌をいれるでもなく、ただただ微笑んでるだけ。
先ほどの腹立たしいさは解消されることなく、助長されただけだった。

それからというもの私は少し意地になってる。 彼は一向に抵抗する素振りを見せないので、キスしてみたり、抱きしめてみたり、耳を齧ってみたりしたけれど、これといって望む反応得られない。 こうなったら目の前で脱いでみるか、と考えるが流石にそれはない。私もそこまで堕ちてない。
堕ちてないけど、もう堕ちたい。
こんな謎の禅問答を自分の中だけで繰り返すのは、ほとほと疲れてきた。

最近千歳はよく非常階段に来るようになった。三割五分から四割八分くらいにはなったんじゃないかしら。
それは私がいるからかと聞きたいけど結局聞けず、代わりに今日も彼にキスをする。
千歳は優しい。何時でも、誰にでも。私にも、猫にも、他の女子にも。
私一人が苦しい、苦しい。
キスをしても、抱きしめても、苦しい。
「なんで抵抗せぇへんの!なんで…」
気づいたら千歳に馬乗りになってた。猫が呆れたように鳴き、するりと出て行く。
それを目で追う千歳。
なんでこんなに好きになってしまったんだろう。
悔しい。私ばっかり。惨めだ。涙が溢れる。

がおると猫がどっかはってってしまうけん、責任ばとってもらわんにゃいけんね」
そう言って初めて千歳からキスされた。それは全然優しくないキスだった。



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