恋とはなんだろう。私にはまだわからない。
だから小学生の頃、国語の授業でやった「赤い実はじけた パチン」がまったくもって実感できなかった。
そもそもどれが恋なのか、これか?あれか?みんないったいどうやって知るのだろう。誰かにこれが恋だと教わるのだろうか。それとも来たるべきときがくれば私にだってわかるのだろうか。
そうみんなに聞くとお前は白石の幼馴染だから目が肥えちゃったんだと苦笑いされる。
意味わかんない。


二年生の秋。
それはなんの前触れもなくはじけた。
季節外れの転校生が同じクラスにやってきた。教室に入るドアは屈まなければ入れない、そんなサイズの男の子。
朝のHRで私たちが使うそれとは違うイントネーションで簡単な挨拶をして、にこっと笑った彼の歯はキラっと輝いて見えた。
その瞬間私は気だるげに頬づえを付いてたはずなのに、驚きで身体がピンっとなった。
「パチン」!これがあれだ!絶対そうだ!そうに違いない!
私が一人で内心興奮していると彼が近づいてくる。さらに心臓が暴れる。
彼が近づいてくるのがスローモーションで見える。
そして私の席の近くで一度しゃがんで何かを拾って、それを私に差し出す。
頭の中にクエスチョンマークを浮かべながら受け取ると、それは小さなボタンだった。
わけが分からず彼をみると「よか眺めばなっとるよ」と胸元を指した。
それに従い自分のブラウスの胸元をみると不自然に開いて肌色が見えていた。
さっきの「パチン」はどうやらこのボタンがはじけ飛んだ音のようだ。
それから彼とは気まずすぎて二年生の間、一言も言葉を交わしていない。


三年生の春。
彼とはクラスが離れてしまった。
結局あれが恋だったのかはわからない。しかし相変わらずあれからずっと彼を見かけると心臓が早鐘を打つ。
彼だけが私の鼓動を強にするスイッチを持っているみたいだ。

私は三年生で保健委員になった。保健委員だったら、もしなんかドジってもくーちゃんが助けてくれると思って選んだ。
保健委員は毎週ローテーションで放課後保健室で先生の手伝いをする。
今日は私の担当の日。先生は臨時会議があるとかなんとかで少し席を外しているので今は一人だ。
いつも通り備品の整理をしながら時間を持て余していた。暇だ。
保健室にやってくるということは大抵は具合が悪いか、怪我をしたかだ。放課後だと前者は勝手に帰ればいいし、後者だと部活動中のことが多いので部室で簡単な手当てを自分たちで行ってしまうからわざわざ保健室までは行かないそうだ。
だから放課後、ここに生徒がやって来ることはごく稀である。

あまりにも暇なので、窓から外を眺める。ここからはテニスコートがよく見える。
あ、くーちゃんまたいつものアレやっとる。なんぼ幼馴染でもアレはまったく理解できひんな。
そんなことをぼーっと考えていたらガラリと大きな音をたててドアが開いて、誰かが入ってきた。
ぬっと大きな、それは大きなサイズの彼だった。


心臓が跳ねた。
彼に対するいつもの反応であったが、それ以上に彼のその痛々しい姿に対しても驚いて跳ねた。
「ど、ど、どうしたん?」
「転んだとー」
嘘だ。間違いなく嘘だ。この人、しれっと笑顔で嘘ついた!
どんなアクロバットな転び方したら、そんな目の上に瘤や頬に痣をつくるのだ。
七転び八起きか!三年峠か!

「ばってん手当てばお願いできる?」

彼はテニス部ですでに部活は始まっているはずなのにまだ学ラン姿だった。

急いで瘤を冷やすために氷のうを用意して手渡した。よく見ると拳やその他にも擦り傷がたくさんある。
慌てて、消毒液や脱脂綿が置いてあるトレーも持ってくる。

「手、見せて。他、はある?」
「んー、適当でよかよ」
よく日に焼けた大きな手を左手でとり、右手でピンセットを持って脱脂綿で消毒液を塗る。
緊張で少し手元が覚束ない。そんな私をみて彼は変に思わないだろうかと心配になるが、彼は特に気にする様子もなくにこにこしながら窓の外を見ているようである。
左手をなんとか終えて、次は右手へ。こちらは少し広めに擦れていたので絆創膏では間に合わなさそうだったので包帯を使うことにした。
最後に早く治りますようにと『いたいの いたいの とんでいけ』と心の中で唱えながら包帯を巻き終えた。

「できたよ」
「ありがとうさん」
彼はそう言ってあの時のようににこっと笑った。
はじめて彼に名前を呼ばれた。ただそれだけなのに、心臓が爆発しそうになる。

これはやはり恋なんじゃないだろうか。そうだといいなっと思った。