※切原短編『緑の味』の続き

あれから私たちは挨拶を交わす仲になった。

「あ、お、おはよう。」
「オッス。、おはよ。」

ただそれだけだ。みんなも何も言わないし、たぶん気づいてもいない。
私たちにしかわからないほんの少しの私たちの関係の変化。
それは私にとって大きな変化で、なんだか4月のドキドキざわめく気持ちに似ていた。





いろんな噂を聞いて勝手に彼を悪くみてたのだろうか。
切原くんは意外とよく笑う人だった。
それを知ったのはほんとにごく最近。一緒に日直をしたあの日からだ。
あの日から私たちはほんの少しだけ仲よくなった。

いやそれは少し違うかもしれない。
切原くんは普通にただのクラスメイトとして私に接してくいるだけであろう。
仲よくなったのではなく、スタートラインに立っただけなのだ。



そんなちょっと微妙な日常をしばらく過ごした私たちに事件が起きた。


それは移動教室で階段を降りてる最中だった。数段上には切原くんもいて、私は少し後ろに気を取られてたのかもしれない。
先輩であろう男子の肩がすれ違いざまにあたってしまった。
一緒にいた友達の悲鳴が聞こえる。
私はそのまま反動で階段の下へ叩きつけられる。…………はずだったのに私の下には切原くんがいて私は少しの振動だけですんだ。



「大丈夫か!!!!?」
「へ、あ、うん。」

「おい!!お前ら!!!シカトしてんじゃねーぞ!!!」

私は気が動転していたが、切原くんがすごい勢いで肩があたった3年に怒っているのはわかった。


「謝れよ!今テメーらのせいでこいつが大怪我するところだったんだぞ!!」

「あ?なんだコイツ?」
「…あ、コイツ2年の切原だぜ。」

「謝れっつてんだよ!」


切原くんはもう立ち上がっていてズンズン3年の方に歩いている。
私は怖くて、腰が抜けたようにその場にへたりこんだまま階段を上る切原くんの背中を見つめていた。


「そっちだってよそ見してたんだろ?」
「あぁ?」

そのとき切原くんが右手を振り上げたのがわかった。



「ストーップ!はい!そこまで。」

「丸井!」

間一髪のところで赤髪の先輩が切原くんの腕を止めていた。
赤い髪の先輩の隣にはもう一人白い髪の先輩が立っている。


「丸先輩放してください!!」
「赤也、とりあえず落ち着けって!!」
「なんで止めるんスか?!!!」


「はい、はい。赤也もそんなやっきにならんと。」

「お前らも俺ら敵に回すとどうなるか、わかるじゃろ?」
今度は白い髪の先輩が相手の男子にすごんだんだろう。
後ろ姿からだからあまりわからないが、雰囲気的にそうだ。
それを聞くなり相手は少し顔を強ばらせて足早にその場を去った。



「そこの子は大丈夫か?」
白い髪の先輩はそっとまだ座り込んでる私に手を貸してくれた。

「怪我はしとらん?」

「あ、はい。大丈夫です。」

「なら、あとは俺らに任せて早う授業行きんしゃい。」

「え、でも………」
と切原くんの方を見ると、カチっと目が合った。
真っ赤な目で鋭くてギラギラしていて、すごく怖かった。

怖い。


噂みたいに本当に怖い。

助けてもらったのに。庇って、私のために怒ってくれたのに。


切原くんはすぐにぷいっと冷たく目をそらした。


「赤也はたっぷり俺らが説教してから行くけん、ほら行きんしゃい。」
友達も行こう。と私の腕を少し引いた。
振り返ってもう一度切原くんをみたけど、今度は目も合わなかった。




、本当に大丈夫?」

「あ、うん。」

「それにしても切原くん怖かったね。あれ、仁王先輩たちが止めにこなかったら絶対殴ってたよ。」
やっぱり切原くんはちょっとねーと渋い顔をしたあとは、切原くんを止めた先輩のことをきゃっきゃと話していた。


切原くんはその後授業には来なかった。



それから私たちはまた挨拶さえ交わさない仲に戻った。
目を合わせるのが怖かった。本当はお礼の一つでも言わなくてはいけないのに、どうしても言えなかった。
たぶん私は無意識のうちに彼を避けてた。
私に抹茶の飴をくれた切原くんがいつもの切原くんなのに、私の中の切原くんはあの赤い目でギリギリ私を睨んでいた。


◇◆◇


「赤也なら向こうで自主練中じゃよ?」

「うわぁ!!!」

「驚きすぎじゃ。」

あまりにも急に声をかけられて持っていた鞄を落としてしまった。
振り返るとあのときの切原くんを止めてくれた白い髪の先輩がものすごく近くに立っていた。
この先輩は気配を消せるんではないだろうか。

「赤也に用なんじゃろ?」
「え?」
「だって、ここテニスコートの入り口。」
「あ。」
私はぼーとしているうちに、帰り道の校門とは反対の場所に来ていた。ボケもここまでくると重傷だ。

「呼ぼうか?赤也。」
「いいです。あ、別に私は………」
「そうか?」
今切原くんを呼ばれたら私は泣き出すかもしれない。それくらい同動揺するだろう。

「ところで、アンタ、名前は?」
「え?…えっと…です。」
ちゃんね。」
「(!!!ちゃん!!!)」
「で、えっと……先輩は………?」
こっちも言ったんだ、聞く権利はあるはずだ。
当然のことを言ったつもりなのに先輩は目を見開いて結構驚いて、そのあと少し笑った。

「仁王雅治です。」
でもすぐに飄々とした表情に戻り名前を教えてくれた。



「この前のことまだ気にしとるん?」
「え?」
「だって、あれからずっと赤也わかりやすーく不機嫌やけん。」
「……そうなんですか?」
「知らんかった?」
「最近話してないんで。」
なんて言って、前から話なんてする仲じゃなかったことを思い出した。
私は何を勘違いしていたんだろう。
こんな風に切原くんの先輩なんかと話なんかしてりなんかして、いい気になってたのかもしれない。
所詮切原くんにとって、ただのクラスメイトにすぎないのに。
そう思ったら、なんだか今度は急に無性に悲しくなってきた。

「赤也は…、

「赤也は面白ければ笑って、怒れば、まぁ手も出たりする。驚くほど単純な奴やけんね。でも、俺はそういう素直で一途な赤也はうらやましい思うんよ。」

ちゃんは?どう思う?」

「わ、私は……私も、すごく、すごいと思います!」
言った後にすぐに我に返った。何を言ってるんだ、私は。
ものすごく稚拙な自分の応えに恥ずかしくてたまらなかった。

「それを素直に赤也に伝えてみんしゃい。そうすれば、ちゃんが抱えてる悩みの半分は解決する。」
「あとの半分は?」
「それは、2人次第じゃ。」
「??」

あとから思い出すと、そのときの仁王先輩の笑いはいやらしかった。


◇◆◇


「おい!赤也!!お前最近いつもに増して集中力が低下してるぞ!もうすぐ試合があるというのに、わかってるのか!!」
「ウース」
「なんだ!その返事はぁ!!」
試合ってこともわかってるし、自分のミスは自分が一番よくわかっている。
だから、それを人に上塗りで怒られるとさらにうんざりする。

「あ、赤也のやつまた真田に怒られてんやんのー」
「丸井!お前も今日のあのミスはなんだ!!!」
「げ、とばっちり。」
「とばっちりとは、なんだ!とばっちりとはぁ!」
運良く丸先輩が真田先輩の怒りをかってくれたので、俺をそのままそそくさと自分のロッカーへ逃れた。



「お疲れやね、期待にエースは。」
「別に。いつもとかわんないっスよ。」
となりにロッカーではすでに仁王先輩がほぼ帰る準備を終わらせたところだった。
「最近、どうなん?例の子は。」
例の子とはのことであろう。
この先輩は怖いくらいにこの手のことには感がいいらしく、いち早く俺の気持ちにも気づいていた。

「どうもこうもないっス。あれ以来怖がられてて、振り出し。てか、マイナスっスよ。」
「御愁傷様やねぇ。」
「なんスか、それー。もうちょっと気の利いたセリフ言ってくださいよー。」
「そういうのは女の子限定。」
仁王先輩に気の利いたセリフを吐かれて落ちない女はうちの学校にはいないだろう。
嫌みな先輩だ。俺は、好きな子からさえ怖がられて視線をはずされるというのに、この先輩は学校中の好きでもない女子の視線まで自然と集めてしまうのだ。
世の中理不尽だ。

「まぁ、悩めるエースに俺からのプレゼントじゃ。がんばりんしゃい。」

そう言って何かの紙切れを俺に押し付けて部室出て行った。
四つ折りのそれを開いてみると綺麗な文字が並んでいた。

『今日、部活の帰り待ってます。話したいので。  

俺はユニフォームのまま走り出した。


◇◆◇


仁王先輩のアドバイス通り、素直になってみることにした。
今、私が切原くんにできることはそんなことくらいしか残念ながら思いつかない。
挨拶してくれてたのに。せっかく助けてくれたのに。笑って飴がおいしいことを教えてくれたのに。
私は一度も“ありがとう”を言っていなかった。人として恥ずかしかった。
それに比べて、どうであれ心を素直に出せる切原くんを、やっぱり私も尊敬したいと思った。


!!!」

切原くんはユニフォーム姿のままで、ものすごく息を切らしていた。
「おま、こんな、暗いとこで……はぁはぁ、っんくん、はぁ、あぶねーだろ…はぁ。」
「だ、大丈夫?」
「いつから?」
「え?」
「いつから待ってた?」
「部活が終わったの図書館から見てて、それからだよ。」
「それ、結構待ってるだろ?」
「え?えと2時間くらい?」
「!!!!!お前、なぁー……はぁ、」
よくよく考えてみれば急に呼び出して勝手に2時間も待ってるなんて切原くんからすればとんだ迷惑な話だ。
彼は心底あきれている様にさっきしていたより重い息を吐いた。
また嫌われたかもしれない。涙が出そうになる。
でも、そんなの今は関係ない。伝えなきゃ。ちゃんと。私が思ってること伝えなきゃ。
嫌われても、やっぱり言いたい。

「私…助けてもらったのに、“ありがとう”も言わなくて。あのときの切原くん怖くて。助けてくれたのに怖くて。」
「………」
「でもね、あの、飴がおいしかったことを思い出して。」
「そのたび切原くんのこと思い出すの。そのときの笑ってくれた切原くんも切原くんなんだって。」

「…だから?」

「えっと、だからって言うと…うまく言えないだけど、えーっと………」



「切原くんとずっと話したかったの!」





それから緑の味の感想を伝えよう。